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日本の政治 ヨ党・ヤ党、それにユ党…ん?

 前にもどこかで書いたかもしれないけれど、僕の専門分野は日本語教育学や文学などではなく、法と政治にかかわる「比較憲法」という分野である。だから、日本語学部での講義も、ことばを社会・政治・法・歴史などの観点からとらえる、というスタンスになりやすい。ことばが社会的な存在であることを考えれば、そうした観点から、ことばを観察することにも一定の道理がある、と僕は思う。

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 というわけで、今日は日本の政治について書いてみます。

 日本では、いよいよ民主党を中心とした連合与党と自民党などの野党との対立構造の中で、さまざまな政治課題の解決に向けた国会審議が始まっています。

 さて、日本では多党制が認められ、国民の選挙によって議員が選ばれます。そして多数を占めた政党(連合)が、与党を構成して行政権(政府)を握ることになります。これは政治の常識ですね。一方、少数にとどまった政党は、野党となり、政府と対峙します。ところで、近年の日本では、選挙制度の「改悪」(だと僕は思っていますが…)により、二大政党制となりやすい「小選挙区制度」を基本とした選挙制が採用されています。つまり、第3勢力以下の諸政党は、得票率よりも議席占有率が下回る結果となりがちだということです。

 たとえば、公明党。今年の総選挙前までは、自民党とともに連合与党を構成していました。ところが、選挙で惨敗して、政権を失ってしまいました。だから、現時点では野党に転落していることになります。

 ところが、最近のネット記事によると、公明党は、与(ヨ)党でもなく野(ヤ)党でもないそうです。政権を失った公明党としては、自民党にこれ以上接近することで何らのメリットもない、かといって、ただちに民主党にすり寄ることもできかねる…その結果、ヨ党とヤ党の中間で「ユ党」(?)という中途半端な位置をとらざるをえない、というわけです。しかも、その基軸がはっきりとしないところからすると、大きく「ユ」とも表現できず、せいぜい「ュ」党といったところだ、と揶揄されているのです。

 こうした批評が的を射ていたものであるのかどうかは、しっかりとした検証が必要でしょう。ただ、こうした辛口批評が向けられるほど、公明党の腰が、やや浮ついていることは必ずしも否定できないことも事実(公明党ないし創価学会支持者の皆さん、すみません)。

 軸がブレないという点では、選挙期間中から「建設的野党」の立場を表明し、さまざまな法案に対しては、国民の目線に立って「是々非々で賛否を決する」としている共産党の方が、むしろきっぱりしているように思えます。

 いずれにせよ、新たな局面を迎えた日本の政治。民主党VS自民党という単純な対立構造でなく、さらに国民の生活を擁護する第3勢力、すなわち「建設的野党」の主張にも、偏見を排して、しっかりと目を向けていく必要があるように思います。

 以上、10月最後の1日である今日は、ひたすらまじめに正論で押し通してみましたが、いかがでしょうか?僕が願っているのは、世界の平和的発展に積極的に寄与し、国内でも人々が身の丈に合った穏やかで暮らしやすい社会を築く政治です。どもども。

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僕は「怪しき男」、さもなければ…?

 確か一昨日だったか、Z老師が本の詰まった小包と国内EMS便を抱えて教研室に戻ってきた。Z老師曰く、「車のナンバープレートが届きました」。彼の話によると、最近車を購入したとのこと。「そうかー、これでまた1台、中国国内での自動車の販売台数が1つ増えたわけだなー」と僕はぼんやりと考えた。そして、「これも、中国の経済発展の一端には違いないんだろうな」とも。

 ところで、僕は車の運転免許証というものを所持していない。というか、そもそも取得さえしていない。そのことを日本の知人に告げると、たいていは「えっ?」という顔をされる。それくらい、日本では運転免許証は「持っていて当たり前」のものなのである。たとえば、大学生であれば、卒業までに免許を取得してしまうものらしい。と言うのも、就職に際して運転免許証の所持が必要条件となるからである。企業の求人条件のひとつに、よく「要普免」と書かれているのがそれを表している。

 僕の場合、ほとんど一般企業への就活をした経験がないし、就職する気もなかったので、運転免許取得の必要に迫られることさえなかった。それに、車の運転にとりたてて関心を呼び覚まされた覚えもない。他の人が車の教習所に通っていても、「じゃ、僕も…」と大勢に身を任せてしまうような性格も持っていなかった。むしろ、僕みたいな人間がわざわざ免許をとって車を走らせたりすると、かなり高い確率で、業務上過失致死罪に問われる結果となりそうだ、と思った程度である。

 かと言って、免許がないことで困ったことはあまり思いつかない。せいぜいひとつしかない。たとえば、何かの申請をするために市役所や銀行、郵便局に出かけたとき、窓口で、こんなふうに聞かれることがある。

「確認のため、身分証明書を拝見させていただけますか?」

「え?今日は、持ち合わせていませんが…」

「運転免許証でもかまいませんよ」

「…持ってません」

「あ、今日はお持ちじゃないんですか?」

「いや、今日というか、そもそも免許を取得してませんから…」

「(え?)…」

「…」

という具合なのである。

 日本には、中国のような公的機関が発行する写真付きIDカードというものはない。運転免許証は、こんな時に効果を発揮するんだけど、僕は、こんな時ばかりは、身分不詳の怪しき男、さもなければ…という眼で見られてしまうのである。う~む。

 でも、そんなケースを除けば、特に大きなトラブルもなく僕なりにささやかな人生の綱渡りをしてくることができた、と思っています。さてさて、実のところ、どうなんでしょうね?

井上靖・考

 久しぶりにコーヒーを飲みながら、ブログを更新しています。これは、最近の僕にしては珍しい。もっとも、コーヒーが嫌いになったわけではないから、飲みながら書くってことに、何か特別の意味があるわけでもないんだけどね。

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 今日は院生3年の授業。この授業では、毎回1人が修士論文テーマにそって、レポート発表をしてもらう。それに対して質疑応答を繰り返す、という形で進行します。今日の発表者はWさん。テーマは「少年期における井上靖と周辺の女性」でした。つまり、後の作家・井上靖の存在に深い影響を与えた要因として、彼の幼年期に身近な女性(母、祖母、叔母)が果たした役割を見落とすことができない、という主張です。扱く常識的な見解だと思いますが、それがどのように作品分析に活かされるか…ポイントはそこにあるような気がします。そういう意味で、今日のレポートは修士論文の予備的作業の域にとどまっている、と言って差し支えない内容でした。

 ところで、井上靖については、たまたまネット上で次のような記事を見かけました。

 「井上靖 従軍日記見つかる 中国出征から送還までの半年」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091025-00000002-maip-soci

 大阪毎日新聞学芸部記者であった井上は、1937年に召集を受け、輜重隊に配属されて中国に出征。ところが体調を崩したのがきっかけで半年後には内地に送還される。その半年間にわたる従軍日記が、彼の遺品の中から発見されたのだ、という。

 井上は、従軍体験について戦後語ることもなく、また日中戦争を取り扱った作品も残していない。それでも、彼が戦争の悲惨さを直視し、戦争の愚かさをはっきりと認識していたことが、この従軍日記から読み取ることができそうである。

 この従軍日記は、全文が月刊文芸誌『新潮』12月号(11月7日発売)に掲載されるとのこと。はからずも、修士論文作成中の院生にとって貴重な資料になると思うので、さっそく日本から取り寄せたいと思っている。

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 「河上ニハ屍(しかばね)山ノ様ナリト 

ソノ水デ炊事シタ

 相変ラズ人馬ノ屍臭紛々タリ」 

(井上靖・1937年10月11日付「従軍日記」より)

遊びの中にも真理あり、かな?

 今日は、学生たちの主催で第1回「日本知識クイズ大会」が行われた。学生には、先週から「ぜひ来てください」と誘われていたので、会場となる3号楼3408教室に顔を出す。開始予定時刻の30分前に着いたので、準備の様子を、教室の後ろの方の席に座って見せてもらった。15時に大会が始まる。他の教員もそれなりに集まるのかと思いきや、出席したのは結局僕とN老師だけだった。3、4年生の姿もあまり見られない。思わず、う~む、と唸ってしまった。

 まあ、日曜日だし、他にあれこれと予定が入っているのかもしれないけれど、こういうリクリエーションだって決して捨てたものではない、と僕は思う。つまり、平日に教室で行われる授業だけでなく、日本についての「雑学」知識の有無を、楽しみながら試してみることは、しっかりとした日本語運用能力を養う上で軽んじることはできないんじゃないか、と。

 立場上、こんなことを言うと差しさわりがあるかもしれないけれど、学生時代には、僕自身、あまり興味を持てない授業は、スタコラサッサと尻に帆かけて逃亡したものだった。そのくせ、こういう余興的活動にはけっこう深入りしていたような気がする。いや、マジで。…さすがに僕には蘊蓄を語るほどの経験はないけれど(笑)、人生っていうのは、損得の計算だけでは面白くないし、それだけで乗り切れるものでもない――それだけは経験則からして「確かだ」と思う。

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 などと書いてくると、まるで学生たちに「遊び」を勧めているようにも思われるかもしれない。それはそれで必ずしも間違いではない。「遊び」の中にも、ときにははたと膝を打ちたくなるほどの真理が潜んでいることだってあるのだから。福沢諭吉の顰にならえば、まあ「遊ビノスゝメ」といったところ、かもしれない。どもども。

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 ところで、昨日のブログに、旧友である毒舌先生からコメントをいただきました。以前も紹介させていただいたことがあるのですが、毒舌先生のブログには、村上春樹『1Q84』の試訳が順次掲載されています。村上文学や翻訳手法に興味のある方は、ぜひご一読をお勧めします。毒舌先生のブログのアドレスは以下の通りです。

http://blog.sina.com.cn/scholar196612

 追記)来年あたり、毒舌先生の翻訳による日本の文芸作品が書店に並ぶことになるでしょう。出版されましたら、あらためて皆さんにご紹介させていただきますね。その際は、どうぞよろしく。

日本留学指南・続編…そして、「どもども」

 先日のブログ記事「日本留学指南」、思っていた以上の反響(と言うほど大したものじゃないけど…)がありました。コメントも寄せていただいて、感謝しております、はい。

 今日は、日本のO大学に留学したいという院生から、「出願書類の一部である『研究計画書』を書いてみたので、形式・内容についてチェックしてください」との要望。彼女の書いた「研究計画書」を、教研室で読ませていただきました。

 彼女の場合、1年間の短期留学を希望していましたので、出願に際しては、研究の目的や具体的な研究計画を明示しておくことが必要となります。単に「日本の文学について研究したい」などという、曖昧かつ大風呂敷的記述では、到底受け入れてはもらえないでしょう。そもそも、「研究」というのは、真剣勝負の世界で、「何となく…とか…とか勉強したいです」という甘い認識では、門前払いを食うのがオチだからです(あ、もちろん、彼女が書いた研究計画書が、そんな甘いレベルにとどまっていた、という意味ではありませんので、念のため)。

 ところで、彼女の研究テーマは、「国木田独歩の作品群に見られる『あはれ』」というものでした。近代日本文学には、どこか「死」のイメージがつきまとっているのかもしれませんが、そうした先入観にとらわれずに、醒めた眼で、しっかりと研究を行ってほしいと思います。

 さて、この国木田独歩ですが、ささやかながら僕にも「接点」があります。独歩は、自然主義文学の先駆者と評され、代表作に『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』などがあります。彼は千葉県出身ですが、父親の転勤で一時、僕の郷里・山口で少年時代を過ごしているんですね。しかも、旧制山口中学に在籍していましたから、僕の出身校の先輩にあたります。自然を愛した独歩、その精神の原風景に山口があったのだとしたら、僕は山口人として何となくうれしくなってくるわけです。ちなみに、僕の母校出身の文学者としては、他に中原中也や種田山頭火などがいます。いずれも、日本の中学・高校の教科書で取り上げられるほどの作家、詩人、俳人です。残念ながら、と言うか、むしろ当り前のことながら、僕の名前は教科書には載っていません(笑)。ま、後世に名を残すことだけが人生ではないと思うので、やはりここでも「人は人なり、己は己なり」のマイペース的人生を、僕は送っていきたいと思います。どうぞ、よろしく。

 あれ?気がついたら「日本留学指南」(続編)から、いつの間にか僕自身の話になってしまっているぞ?こういう脇道にそれるってところが、いかにも僕らしいのかもしれないけど…。どもども。

新型インフルエンザ対策セミナー

 昨日は、午後3時半から、清川暇日酒店(ホリデイ・イン)で、日本商工クラブ主催によるセミナーがあり、それに参加させていただいた。同クラブの会合に参加させていただくのは、これが初めて。今回の会合は、大学院生のYさんからのお誘いであった。僕は、元来人づきあいの上手なタイプではないので、こういう機会でもないと、武漢在住の日本人にお目にかかることさえない。そういう意味で、Yさんには感謝、感謝。他に、留学生のT君、Kさんも参加する、とのことで、大学西門で彼らと待ち合わせて、タクシーでホテルに向かった。

 今回のセミナーは、「新型インフルエンザの対策」がテーマで、北京の日本大使館から1等書記官と医務官のお二方をお迎えして、意義ある会合であった。僕個人について言えば、新型インフルエンザに罹患して重篤化しやすい「高リスク・グループ」の範疇に入るのかどうか微妙な感じはしたけれども、ま、「脅威」という点では、よほどのことがなければ、季節性インフルエンザと大差ないってことかな…と納得してしまった。

 ちなみに、同セミナー参加者は、総勢40名ほど。なかには、科技大のK老師、民族大のF老師、武漢大学留学生など、法人会員でなく個人の立場で参加された方もちらほらと散見された。

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 大学に戻ってきたのは、午後6時過ぎ。西門手前のデパート前でタクシーを止めてもらって、晩ご飯の食材を買って帰ることに。買い物袋を提げて宿舎に向かう坂道を登る頃には、すっかり日は沈んで、空にはか細い三日月が浮かびあがっていた。10月も末に近づくと、本当に日が落ちる時刻が早くなったなぁ、としみじみと思った。

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 話は、あちこちに飛んでしまうけれども、新型インフルエンザ治療薬(抗フル剤)として、よく知られているのが、タミフルとリレンザ。日本商工クラブ会員の中には、日本で処方箋を出してもらって、タミフルを日本から持って来ておられる方もいて、「いやー、準備周到だなぁ」と内心恐れ入ってしまった。もとより楽天的性格の僕には、到底考えも及ばない心構えです。敬服、敬服。もっとも、すでに僕は毎日3種類の薬を服用している。これ以上、飲むべき薬が増えてしまったら、それだけでお腹いっぱいになるかもしれないし、できることなら新型インフルエンザとお近づきにだけはなりたくないものだ、とあらためて思っている。

日本留学「指南」…「至難」に非ずと雖も。

 たまには、学生の進路設計について日ごろ感じていることを、思いつくままに書き記しておこうかな。今日は日本の大学院への留学を考えている学生を念頭に、書いていくことにしましょう。

 日本の大学院に進学する場合、当然のことだけど、入学試験がある。大学によっては、中国国内に試験会場を設置するところがあるかもしれないけれど、たいていは日本の大学まで出かけて試験を受けることになる。この手続きが、なかなか煩瑣です。日本では現在、外国人留学生受け入れ「30万人計画」を打ち出していて、日本の査証発行の制約を緩和する動きもないわけではないでしょうが、それでもやはりかなり面倒です。
 書類審査だけで(したがってわざわざ受験のためだけに日本に行かなくてすみます)入学許可が降りるものとしては、正規の大学院課程ではなく、研究生(学位取得を目的としない短期留学生)となるケースが考えられます。渡日後、あらためて大学院入試を受けて、それに合格したら正式に大学院生となることができます。現在は、こうした形で日本の大学院に進学する留学生が多いようです。

 ところで、最初から大学院入試にチャレンジしようとする場合、受験願書などの書類に、いろいろなことを書き込まないといけません。中でも、①何のために日本に留学するのか、②入学後の研究計画については、しっかりとした内容が要求されます。少なくとも、大学院に入る時点で、何について研究したいのか、明確な目標を持っていなければ、お話にならない、といっても過言ではありません。ここが中国の大学院と異なるところです。そして、願書提出前に、希望する大学院の所属教員の中から、自分の研究方向に合った先生を選び、きちんとその先生と連絡を取り合って、指導教員になってくださるようお願いをしておかないといけません。これも、中国の大学院とは異なっている点ですね。

 ちなみに、自分に合った大学院、指導教員は、どのようにして見つけることができるのか?そもそも、それがわからないようでは(ちょっとキツイ言い方ですが…)未来の大学院生としての研究能力を疑われます。簡単に言えば、ネット上で大学のホームページにアクセスして、そこの大学院の設立趣旨、各専攻の特徴、所属教員の研究テーマを検索していけば、たいていのことはわかるはずです。

 もっとも、ここで一度にあれこれと書いてみても、わかりにくいところは次々と出てくることでしょう。そうした場合には、遠慮なく、僕たちに質問してくれれば、わかる範囲でお答えできると思います。…というわけで、今日の書き込みは、ここまで、ということに。ではでは。

食べ物の話

 最近は、ひとりで過ごすことが多い。というか、もともと僕は、大勢でがやがや騒ぎながら時間をつぶすことが苦手で、気の置けない仲間が一人か二人いれば、それで必要かつ十分というタイプである。そこへもってきて、今年はリハビリ的日常に包みこまれて生きているようなものだから、ますます人づきあいとは疎遠になってしまう。こんなとき、人は部屋にこもって、何を考え、どんなことをして過ごすのだろう?

 僕の場合、TVも視ない。新聞もとっていない。したがって時間をつぶす手段としては、もっぱらインターネットか本ということになる。ネットでは最新情報の収集とブログの書き込みに終始している。一方、本というと、宿舎にあるものについては片っ端から読んでしまったので、歴史小説のの繰り返し通読などというルーティンワーク化した作業を飽きもせず続けているといった調子なのである。やれやれ。

 こんな日々を送っていると、ときどき何もかも投げ出してベッドに横たわり、ぼんやりとあれこれ考えてみたりする。で何を考えているかというと、これがまた仕様もないことに、食べ物についてなのである。人間、行きつくところは、たいてい三大欲望のいずれか、ってことなんだろうな、と思わずひとり合点してみたりする。

 ところで、食べ物といっても、僕が思い浮かべるのは決して豪華なディナーなどとは、これっぽっちも縁のない、ささやかなものばかりなのである。つまり、貧しかった子ども時代や学生時代によく食べていた、ごくごく庶民的な食べ物ばかりを反芻しているわけで…そう言ったら、僕の気分、少しはわかってもらえるだろうか?ところが、である。そういう食べ物にかぎって、自分で作ろうにも肝心の食材がここ武漢ではなかなか手に入らないのだ。それだけになおいっそう、僕の頭の中で、天ぷらとかトンカツ、焼き鳥、筑前煮などといった僕の食欲をそそるモノがメリーゴーランドのようにくるくると回り続けるているのが現状なのである。やれやれ。ちょっと情けない話で、ごめんなさい。

 ま、そのうち、週末あたりに時間をばっちり確保して、手間をかけたおいしい和食にチャレンジしてみようと思いながら、今日の夕食用に冷凍うどんを解凍している僕なのでした。チ~ン!(うどんの完成ですっ!)
 それじゃ、「いただきま~す!」

 

僕の中の幽霊譚

 今日は大学院3年生の授業のみ。今学期、このクラスでは、それぞれの修士論文のテーマに沿って順にレポート発表をしてもらっています。今週はWさんの発表で、「幽霊論」。彼女の修士論文のテーマが『雨月物語』であることから、その基礎研究として「幽霊」を考察してみる、というものでした。

 あらためて説明するまでもなく、『雨月物語』は、江戸中期の読本の代表作とも言えるもので、作者は上田秋成。日本や中国の古典から題材をとった9編の短編で構成されています。僕としては、これらの短編のうち、「白峯」や「菊花の契り」が気に入っています。両編に登場する悪霊・幽霊は、いずれも男性である点で共通しています。つまり、それらの霊に対して、同性としての共感を覚える、ということなのかもしれません(笑)。ちなみに、他の短編を原作とした映画が昔作られたことがありますが、その作品を観て、正真正銘怖くなった思い出が、僕にはあります。ぶるぶる…。


 さて、日本の幽霊ですが、そのイメージが完成されたのは、おそらく江戸中期以前で、円山応挙の描いた「幽霊図」が最も典型的かもしれません。しかもこの作品以降、日本の幽霊からは足が消えてしまったと言われています。
 ところで僕のイメージでは、幽霊というと、まず季節は夏、しかもどんよりと曇った、あるいは雨のそぼ降る夜に現れます。性別で言うと、この世に恨みを残した女性というのが、何となくぴったりくるような気がします。
 
 ただし、幽霊というのは、あくまでも想像上の存在であって、実在する、とは思いません。というのも、幽霊の実在を証明する明確な根拠がいまだ存在していないからです。そもそも「根拠なき主張は、科学上認められない」というのが僕の立場だからです。
 とは言いながら、僕は幽霊に出会ったことが一度あるんです、いや本当に。あれは、僕が小学3年生の頃だった、と思います。深夜ふと目覚めると、階下から誰かが登って来るのを感じ、僕はあわてて目を閉じました。白い着物姿の女性が僕の枕もとに音もたてず座り、僕を見下ろす。僕は目を閉じていたから、本来何も見えないはずなのに、今でも正座した女性の裾周りを僕はありありと思い出すことができるのです。あれは、本当にあったことなのか、ただの夢にすぎなかったのか、知る由もありません。ただ、僕は夢と現実の間(あわい)で確かに会ったのです、白い幽霊に。
 もうひとつ。僕は小学5年生の時に人魂を見かけました。これも深夜のこと。トイレで用を足していた僕は小窓から外を眺めていました。20m先にある農家の軒先あたりから、青白い光が風に乗ってスゥーと飛び去って行きました。その先にはお墓がありました。これも事実。

 僕は、科学的には幽霊は信じません。でも、幽霊や人魂に出会った事実も嘘ではないのです。その意味で、人生は摩訶不思議なもので満ちていると言っていいのかもしれませんね。

「まなぶ」と「まねぶ」

 昨日から空は雲に覆われていたけれど、今夕には小雨がパラパラと音を立てて地面を濡らした。秋ともなると、ひと雨ごとに気温がすっと下がる感じがする。だから、と言うわけではないけれど、僕にしては珍しく、陽のあるうちに湯船にゆっくりと浸って、雨の音に耳を傾けた。そんな日曜日の午後でした。

                      ***

 さて、今日は語源についての話。

 「学ぶ」というのは、当然のことながら、学生の本分である。いや、もっと広くとらえれば、人は誰でも、生あるかぎり、何かを学び続けるべき存在だと言っても過言ではない。
 ところで、この語、読み方は「まなぶ」だけれど、古語では「まねぶ」とも読んだ(たとえば、源氏物語第20帖・少女にも「文才をまねぶにも」との表現が出てくる)。
 つまり、「学ぶ」という語は、語源的に見れば「真似る」のそれと同根なのである。そのことは、どちらの語にも「まねる、模倣する」という意味合いが含まれていることからも推測がつく。
 僕たちは、先人の生み出した事物・思考を、模倣しながら身につけていく。それが「学ぶ」という行為の本来の姿なのである。
 ただし、それのみでは「すでにあるもの」の「二番煎じ」にしかならない。僕たちが何かを学ぶのは、それをそれを模倣するにとどまらないで、そこにさらに何らかの付加価値をつけて、より新しいものを創出しようとする意欲なり可能性なりを、つねに秘めていなければならないのではなかろうか。

 文化にしろ、はたまた産業にしろ、ただ模倣するだけでは、当然のことながら、そこにオリジナリティは生じてはこない。模倣するという意味での学びとは、あくまでも何かを生み出すための「土台」に過ぎないのである(その意味で、模倣も知的活動の前提条件であるということは僕も認めています)。

 今、中国では「山寨」とか「海賊版」、あるいは「偽ブランド」が、けっこう大手を振って市場を席巻しているけれど、これは上で述べたことからすると、厳しい言い方かもしれないけれど、模倣の域を出ていない「バッタもの」と言わざるをえない。問題は、それだけではない。そうした商品で利ザヤを稼ぐ行為は、研究開発に時間とコストをかけてきた正規品の作り手の「知的財産権」を侵害することに他ならず、それ自体が犯罪行為となるのである。ブランド価値と言う点では、たとえばSONYやHONDAに似せた商品にSQNYとかHONGDAという商標を用いたりすることも、ブランド力を盗むことに他ならない。  もちろん中国で作られているものが、すべて「ものまね」だと強弁するつもりは、僕にはありません。ただ、そういう「バッタもの」の流通をこれからも許していては、国の信用度にかかわってくると憂えるのです。

 ぜひ学生のみなさんには、このことをしっかりと考えてほしいなぁ、と思う僕、なのです。どもども。


「巨人・大鵬・卵焼き」そして「悲しくて…」

 前に書いたことがある「死語」について、話の続きを。

 物事に「流行り廃り」(はやりすたり)はつきもので、言葉だってその例外ではない。たとえ一時期爆発的に流行した言葉であっても、時が流れてたいていの人に飽きられ、使われなくなってしまうと、その言葉はたちまち死語となる。けれども、それはあくまで「たいていの人」にとっての話で、なかにはそうした言葉が記憶にしっかりと刻み込まれて、いつまでも生きている、と感じる人だっているはずだ。少なくとも、僕はそう思うし、実際のところ、「たいていの人」にとって死語となった言葉が口を衝いて出てしまって、周囲から冷笑された経験も一度や二度ではなかったから。

 たとえば、「巨人・大鵬・卵焼き」。たとえ日本人であっても、最近の若い世代の中には、この言葉を耳にしたこともなく、したがってその意味もチンプンカンプン(=全くわからない)だ、と言う人は、けっこう多いかもしれない。この言葉が生まれたのは―かなり古くて恐縮だけど―1961年のことらしい。もう50年近く前のことですね。ちょうど日本は高度経済成長が始まったばかりで、当時の池田首相が「所得倍増計画」をぶち上げたころの、流行語だった。

 さて、この「巨人・大鵬・卵焼き」。わかりやすく言えば、子供のお気に入りBest3とでもいうべきもので、たいていの子どもの好みにかなっているものを指す。ちなみに「巨人」とはプロ野球の「読売巨人軍」、「大鵬」は、当時大相撲で実力・人気ともに群を抜いていた横綱のしこ名。そして「卵焼き」は、子どもの好きなおかずの代表、といったところ。その意味が転じて、ありきたりの好み、という皮肉としても使われるようになった。

 ところで、昨日書いたことだけど、「人は人、僕は僕」というのが僕のスタンスなんだけど、この「巨人・大鵬・卵焼き」に限って言えば、まさしく僕の好みそのままだった。やや言い訳じみて聞こえるかもしれないけど、必ずしも「他の子がそうだから、僕も…」と追従したわけではなかった、と今でも思っている。だから今でも、相変わらず「巨人・大鵬・卵焼き」は僕の好みそのものなのだ。う~む、しかし、これって…僕のスタンスが子どものころから全然変わってない、言いかえれば、いまだに僕の中に子どもが住んでいるってことなんだろうか…?ま、いっかー(笑)。

***

 今日のおまけは、長いこと書かなかった「今週のうたちか」。本当に久しぶりだなぁ。

『悲しくてやりきれない』

(作曲:加藤和彦  唄:ザ・フォーク・クルセダーズ)

胸にせまる 空の輝き

今日も遠く流れ 涙を流す

悲しくて悲しくて とてもやりきれない

このやるせないモヤモヤを

誰かに告げようか


 どうして、僕が今日この歌を選んだか、すぐに察することができた方は、

日本のニュース記事を小まめにチェックしている!と太鼓判を押してあげ

たくなります。いや、マジで…どもども。

 

 

旅のお話…H社にモノ申す!

 今日は旅の話。
 
 …とは言っても、風光明媚な観光スポットの紹介をしたい、というわけではありません。実は、今月末に家人(わかりやすく言えば、うちの奥さんのことですが。)が武漢にやって来ることになっています。いつもなら、大手N旅行社か、中国旅行にかけては実績のあるA社で割引航空チケットを購入するのだけど、今回はH社(必ずしも大手とは言えないけれどもディカウントチケットで、そこそこの定評のある会社です)に委託することにした、とのことでした。ま、H社なら、心配いらないんじゃない、と僕も考えていた。
 成田⇔上海浦東往復チケットは、かなり格安で買えたらしい。問題は、中国国内便。つまり上海⇔武漢のチケット。H社から最初提示された金額は、割引率0%の正規料金+かなりの手数料としか思えないほどの高額だったらしく、購入をいったん留保して、僕に国際電話をかけてきました。「そっちで、中国国内便のチケットとってくれる?」
 H社提示の金額を聞いて、僕もびっくり。そんな高額のチケットなんて買ったことがないので、「了解。こっちで予約をとっておくよ」と返事しておきました。
 ところが翌日、H社から日本の自宅に「昨日申し上げたチケットの値段間違いでした」と連絡があったとのこと。今回提示された金額は前日の半額!う~む、いったいどうなっておるのか?
 ま、何だかんで、結局、中国国内便もH社で購入することに再変更。

 話がこれで終わるなら、まあいいことにしておこう。ところが昨日になって、またH社から連絡があったらしい。用件は「武漢から上海までの帰国便、フライト中止になったので、チケットを変更してほしい」とのこと。急にそんなこと言われてもねぇ…でも、やむなく家人は、変更手数料2100円を支払って、早朝の便に変更することに。う~む。
 話はまだ続きます。今日、再々度、H社から電話。今度は「上海発武漢行きのフライトが夜8時に変更されました」と言う。これでは長時間、上海で時間を無駄につぶすことになるから、早めの便に変更せざるをえません。すると今回も、変更手数料2100円の支払いを要求されたとのこと。う~む。
 
 うだうだと書いてきましたけど、つまり僕がここで何が言いたいかと申しますと、こういうことです。最初は高額のチケット代金をふっかけてきて、次に格安料金を提示してくる。それに乗っかると、あとになって、フライト変更ということで(この変更はこちらの一方的事情ではありません)、さらに変更手数料を求めてくる。こんなことって、顧客の心理としては、ちょっと(と言うか、かなり)気分を害することじゃないかなぁ、と。違います?
 H社さん、そこのところ、きちんとご説明を願いたいですね。さもなければ、「安かろう、悪かろう」のイメージはぬぐい去りがたく、次からは別の会社とお付き合いさせていただくことになると思いますが、それで構わないでしょうか?とにかく、今の気分をひと言でいえば、プンプン!ってことです。

日本人の「集団主義」異論

 日本に対するイメージを学生に訊いてみることが、僕にはよくある。と言うか、僕が受け持つ授業は、日本の社会・文化に関する領域を主としているので、自然と学生の抱く日本イメージから話を始めることになるのである。

 学生からの答えには、しばしば「集団主義」という言葉が出てくる。中国語では「集体主义」という表現が、それに近い。確かに、日本に関する書物には、よく日本の集団意識や団体行動が日本人の特質だ、という主張がなされている。ある意味では、僕もそれを否定しようとは思わない。というのも、「場」や「間」を重視することは、日本人にとって社会生活を送る上で不可欠の要素だし、「和を以て貴しとなす」(聖徳太子『一七条の憲法』参照)ことが、古代以来の日本人の美徳とされてきたからである。

 したがって、僕も自分が所属している社会の秩序秩序をわざわざ壊したいとは考えないし、決められたルールにも、それなりに従って生きてきたんじゃないかと思う。ただ、その一方で、その社会の構成員のほとんどすべてが、特に疑問も感じることなしに「集団行動」をとっているとき、不意に僕はささやかな疑問を感じてしまうことがある。つまり、「別に、何から何まで、全員が同じことをする義務なんてないんじゃないか?」という全くもって「異端児」的な疑念なのである。

 文字通り、もうずいぶん昔のことになるけれど、僕が高校生だった頃、夏休みに修学旅行があった。当時僕は山口県に住んでいたので、関西から信州を経て東京に回るかなり長距離の旅行だった。僕としては、わざわざ夏休みを使って、決まりきったスケジュールで団体旅行をすることに大した魅力は感じなかった。そんなものに参加するくらいなら、むしろ自分で時刻表をめくって、自分なりの旅行をしたいと思った。当然、僕は学校主催の修学旅行には参加しなかった。ところが、そうした異端児的な考えをそのまま実行してしまうような学生は、他には一人もおらず、結果的には、これまた当然のことながら、全員が出発した後、僕ひとりが山口に取り残された。実は、気の置けない友人を誘って、二人で旅をしようぜ、ということになっていたのだけれど、修学旅行直前になってその友人から、こう打ち明けられたのだ。「○○(←僕のこと)と一緒に旅行しようと思ってたけど、親が修学旅行の積立金を払ってくれていたし、今さらそのお金は返してもらえないらしいので、やっぱり修学旅行に参加することにしたよ。ごめん、ごめん」…。

 別に僕は、それで裏切られた、という意識はもたなかった。もたなかったけれど、ずいぶん考えさせられたことも事実だった。無理やり集団行動に自分を合わせる必要はない。それは自分の判断に基づけばいいだけのことだ。ただし、自分の判断で何かを決めたら、その結果は、やっぱり自分で背負わなければいけない、というごく当たり前のことを。

 その夏の経験は、それ以後の僕にどこかしら深いところで深い影響を与えてきたのだと思う。今でも、「人は人、僕は僕」というスタンスが僕の中にある。だから日本人のすべてが盲目的な「集団主義」に走るとは言い切れない、と学生に向かって僕は語りかけずにはいられないのである。どもども。

情けはめぐる 人の世に

 日本に「情けは人の為(ため)ならず」ということわざがある。中国語の世界にも似たような成語が、ひょっとしたらあるかもしれない。それはともかく、以前、何かのアンケート方式で、最近の日本人がこのことわざの正しい意味を知っているかどうか、調査が行われたことがある、という。調査結果から言うと、「人に情けをかけると、かえってその人のためにはならないから、余計な情けはかけるべきではない」と答えた人が多くて、びっくりした。これは当然×である。「広辞苑」か何かで調べてもらえればわかるけれど、本来の意味は、もう少し教訓じみている。つまり、「人に情けをかけるのは、けっして無駄なことではない。そうした情けをかけあうことで、いつかは自分も人から情けを受けることになる」という意味なのである。

 さて、我が身を省みると、僕は、「人の情け」の恩恵をかなり受けて生きてきたんじゃないか、と思わざるをえない。どうしてそういう立場に落ち込んでしまった(?)かというと、理由はいくらでも思いつく。その理由の一つとして、僕の性格の一面を挙げなくてはならなそうである。いや、性格と言っても、あまり威張れるような代物ではない。簡単に言えば、こうだ:あるテーマについて、100人のうち99人がAという立場を支持したとする。そういうとき、付和雷同して100番目の支持者になるってことが性分的に苦手なのである、僕は。…いや本当に。そしてついつい、他に味方のいないBという立場を支持してしまうのである。そういう状況に、僕は何度も出食わしてきた。結果的に、僕はそのあと、ゴーイング・マイ・ウェイ、要するにひたすら我が道を行くしかなくなる。それはそれで、気分がさばさばとして悪いものではない。ただ、いったん窮地に追い込まれると、そこから抜け出すのにひどく難渋する。でも、人の世はよくしたもので「捨てる神あれば、拾う神あり」。必ずといってよいほど、情けをかけてくださる方が現れるのである。それを思うと、人の縁とは、まさに有難くも不可思議なもの。

 そういうわけで、僕は「情け」をかなりたくさんかけていただいてきたことに、ただただ感謝するよりほかにない。それでいて、僕の方から誰かに「情け」をかけたという記憶が、実はあまりない。収支決算をすると、僕はかなり「情け」という名の負債を抱えていることになる。う~む。

 ひとつ救いは、かつて師匠から諭されたことにある。情けは受ければいい。それをすぐに返そうなどとは思うな。いつかそれだけの余力ができるようになれば、後進のためにその力を尽くせばいい――それが師匠の言葉だった。

 僕は、今学期ようやく現場に完全復帰して、学生と向かい合っている。その中で、たとえ少しずつでも、師匠のお言葉に答えていきたいと念じはじめている僕なのである。どもども。

あなたの記憶の抽斗に

 山路を登りながら、かう考へた。

 智に働けば角が立つ。

情に掉させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

兎角に人の世は住みにくい。

(夏目漱石『草枕』冒頭部分より)

 

 漱石ではないけれど、人の世というか、世間というか、あるいは社会と言い換えてもいいけれど、生きていくことはけっこうしんどいことだと、僕も思う。なにせ、あの徳川家康でさえ「人生とは重き荷を背負うて行くが如し」と歎じたほどだから。

 どうして急にそんなことから書き始めたか、というと…これはかなり込み入った話で、しかも知人のプライバシーにもかかわる問題なので詳しくは打ち明けられないけれど…そういう状況に追い込まれている知人が、現に僕の身の回りにいるからなのだ。う~む。

 おそらくは、誰だって人生の一時期に、そういう窮地に陥ることはある、と思う。しかも、かなり高い可能性で。そうした経験を全く持つことなく生きていける人生というものは、ちょっと僕には想像もつかない。しかも僕自身、人生の隘路にはまってしまった経験を少なからず持っている。

 さて、そんなとき、僕はどうやってその隘路から抜け出してきたのだろうか。知人の苦悩を人づてに聞いてから、僕はふと考えた。若い頃(…という表現は、いかにもおじさんぽくってつらいが、実際そうなので仕方ない)の僕は、とにかくそういう状況に反発し、ガルルルル~とワニ目になって過ごした。つまり、自力ではなすすべもないまま、ただ「時間」という名の魔術が状況を変えてくれることを待つしかなかったってこと、だ。

 今は、どうかというと、たぶん、もううなったりもしないし、ぎらぎらと攻撃的な目をして周囲をねめまわすこともしない(と自分では思っている)。まずは、頭をポリポリと掻き、ふぅ~っと深く息をついてから、軽く頭を振り、「やれやれ、ま、いっかー」とつぶやきながら苦笑いしてしまうに違いない。要するに、一歩身を引いて、冷静になろうと努めるだろう、という意味です。なぜ自分が今、そのような局面にいるのか。どうすれば、より妥当な落とし所を見つけられるか―それを、できるかぎり客観的に見いだそうとする、と思う。

 それでも、窮地に陥ってるときっていうのは、かなりカッカときているはずなので、そう簡単に自分をコントロールできるかどうか、実際のところは、全然自信はないんだけどね。それでも、心の抽斗(ひきだし)に、そういうスタンスをきちんとしまっておくだけでも、かなり状況は変わってくるような気がする…(笑)。

 ま、抽象的な話で、僕が誰に何を伝えたいのか、わからないかもしれないけど、ま、一般論として、あなたの記憶の抽斗にしまっておいていただけると、嬉しいかぎりです。ではでは。

ノーベル平和賞に寄せて

 深夜のブログ更新。これ、相変わらずと言えば相変わらずですけど。

 さて、今日はノーベル平和賞の話を。

 今年のノーベル平和賞はアメリカのオバマ大統領が受賞しましたね。日本でも福井県小浜(おばま)市の皆さんが喜んでいるそうです。受賞の理由は、核兵器廃絶に向けたオバマ大統領の宣言にあるそうです。核兵器の廃絶は、僕も昔から望んでいたことですから、オバマ大統領の受賞をアジアの片隅で喜びたいと思っています。

 ところで、この報道を目にして、ちょっと気になったことがあります。確かにアメリカの大統領が核兵器廃絶に向けて積極的な発言をすることは、世界平和にとってきわめて大きな影響力を持ちうる(「…うる」というのは、「…する可能性がある」ということであって、必ずしも現実に影響を与えるかどうかはわかりませが)ことを意味します。しかし、核兵器廃絶に向けた運動は、すでに長年にわたって続けられてきたものです。唯一の被爆国である日本では、原水禁・原水協と呼ばれる二団体が、それぞれ核兵器廃絶のアピールを世界に向けて発信してきました。また、毎年8月6日、同9日には、広島・長崎で慰霊祭が行われています。そうした被爆者・被爆2世の叫びとそれを支える大衆の願いに、核兵器保有国はほとんどといってよいほど耳を貸してこなかったことも事実です。まず、そのことを核兵器保有国は、しっかりと自覚し、けっして自己弁護に走らないことを願います。

 さらに、アメリカを含むこれらの核保有国が、それぞれに何発の核兵器を保有しているのか、なぜ保有権を数少ない国家に独占させておきながら、他国への核兵器の拡散を禁止してきたのか、そうした戦後国際政治史をきちんと検証してみることが、今すべての人に求められているのではないでしょうか。少なくとも、一方で国際平和への貢献を謳いながら、同時に無差別殺戮と都市殲滅をもたらす核兵器を、絶えず他国に向け続けている国々の状況には悲しむべきものがあります。こうした状況にピリオドを打つのは、一国の大統領の力だけでは不可能です。私たちが、国境線を越えて、すなわち地球市民として、ひとりひとりの声をつないでいくことで、本当の意味での平和世界へ、一歩踏みだすことができるのではないか、と思うのです。

 こうした僕の願いの根底にあるもの、それは特定の国の「国益」などではありません。私事で恐縮ですが、僕の母方の親族が戦時中広島に住んでいて、そのうちの何人かが1945年8月6日に被爆した、という「歴史的事実」に根ざしています。同じ苦しみ、悲しみを、世界中の誰にも繰り返してほしくない、その願いが、今日のブログ日記を書かせたのだと思っていただければ幸いです。…というわけで最後に一言:

 世界に平和の花束を! 

 

台風に思う 自然との共存社会

 まずは、昨日のブログ日記の訂正から。外為に関する文章の中で、「1元=129~130円」とありますが、これ、小数点をうち忘れていました。正しくは「1元≒12.9~13.0円」とすべきでした。ご指摘くださったD老師に感謝、感謝。ことほど左様に、僕の文章には誤字脱字がここかしこに散在しているってことです。どうか皆様、ご用心を(笑)!

***

 さて、話は変わりますが、そしてあまり大きな声では言えないことだと思うけど、実は、僕、台風がけっこう好きです。これは子供のころからそうなんです。急に重く湿った風が吹き始め、空の片隅から無限に広がり続ける雨雲。やがて、大粒の雨が地面を叩きつけるように降り、風も強さを増していく。雨の織りなすカーテンが風景を白くにじませる。そんな日は、僕は飽かず窓の外を眺めて過ごしたものでした。どうしてか、と問われても、当時はうまく答えられなかったけれど、今にして思えば、やはり台風という「非日常」の中に、子供の感性をざわつかせる何かが潜んでいたように思います。そうした子供時代の感性は、今の僕の心の底にもあり続けています。

 今日、日本に台風18号が上陸し、中部地方から信越、関東、東北部を暴風雨圏に巻き込みながら、時速50kmほどの速度で駆け抜けて行きました。かなり大型の台風で、大きな被害が予想されていましたが、これまでのところ、死者2人、けが人は100人を超える程度で済んだ(もちろん、これだってかなりの被害で、被災された方々には、同情を禁じえません)ようです。

 ところで、今回の台風の規模と進路は、「伊勢湾台風」によく似ている、と数日前のニュースに出ていました。伊勢湾台風というと、年配の方であれば、記憶に残っている方も少なくないはずです。今からちょうど50年前、つまり1959年に伊勢湾を襲った台風で、その時の死者・行方不明者だけで数万人を数えるほどの被害をもたらしました。当時の僕は、まだ生後9カ月で、その台風のことは覚えてはいませんが…。それでも、そのような天災に見舞われたという事実だけは、あとで学んで、今も忘れてはいない、そんな台風でした。(中国の方には「唐山大地震」を思い浮かべていただければ、想像がつくかもしれませんね。)

 中国人学生からもよく言われますが、日本というのは地震や台風など自然災害が多く、暮らしにくい国のようです。ある面で、それは正しいかもしれません。しかし、どんな国や地方にも、それなりに克服しなければならない自然条件というものがあるものです。その意味では、日本だけが特別なわけではないようにも思えます。むしろ、僕がここで指摘したいのは、日本人は、こうした厳しい自然と付き合いながら、天災に対する被害を最小限に食い止める努力をし続けている、ということです。今回の台風に対する国民一人一人の対応を見てゆくと、日本人の自然に対する敬意や、細心の心構えなど、自然と見えてくるはずです。実は、そうしたことの中に、本当に学ぶべき「日本(人)」が存在しているということを、学生諸君に理解してもらえると、僕は、本当にうれしい。

 自然とともに生きる―全面的な小康社会の実現を目指すとはいえ、そうした自然への思いを抜きにしては、机上の空論になってしまうかもしれない。老婆心ながら、そんなことを考えてる今日の僕です。

なぜ僕は文章を書くか&円高について

 まずは、昨日の話の続き。つまり、僕が何のためにブログという形で(もちろん、誰の目にも触れないところでこっそりと書き記す日記でもいいわけですが)、文章を書きつづっているのか、ってことです。これには、いちおういくつかの理由があります。

 理由の一つは、こうやって文章を書くことによって、僕は自分の考えを探りあて、それを何とかまとめることで、やっと自己再認識をはたすことができる(と思いこんでいる)からです。ちょうどそれと同じことを、村上春樹も、何かのエッセイの中で告白していたように記憶してます(笑)。う~む。そういう意味で、村上春樹と僕には、どことなくものの考え方に共通するものがあるのかもしれません…もっとも文学的才能という点では、僕が彼の足元にも及ばないことは言うまでもないことだけど。ははは、要するに、まずは自分に向けた文章だ、ということですね。

 二つ目は、このブログの趣旨が、本来「教学研究プロジェクト」の一環として、日本語学部の学生のために、日本や日本語についての一面を提示することにある、ということでしょう、たぶん。講義の中では触れられないような事柄もあるし、僕の思いつきの中に、ひょっとして日本人的な思考様式が潜んでいることもあるかもしれない。だからこそ、思いつくままに文章を書きつづって、そこから何かを吸収してもらいたい、という「教え屋」的欲求に基づいていると言ってもいいかもしれません。ところが、実際のところ、最近では、中国人学生よりも、日本の方々によるアクセスの割合の方が高くなっていて、ちょっと、う~むと唸ってしまっているのが現実なんですが…。

 というわけで、三つ目の理由としては、僕個人の身近な知り合い、あるいは中国・武漢で教職に就いている日本人に何となく興味を持ってくださった方に、僕のふだんの生活をお伝えできればいいな、という思いもないわけではありません。かと言って、決して武漢の名所案内も、味めぐりも、あるいはちょっと役立つ中国情報もテンコ盛りってわけでもないので、恐縮なんですけど。

***

 という前置きはともかく(…僕の書く文章はとにかく前置きが長い、いや長すぎる、らしい)!最近僕が気にしているのは、為替相場のこと。ドル/円で見ていくと、ドル先安観からか、円高傾向にあって、今日の円の最高値では、1ドル=88円にまで上昇してました。ちなみに、人民元/円では1元=129円~130円で推移。

 円高基調ということで、日本にとって輸入面でのメリットはあるけれど、輸出面では日本製品が割高となり売れ行きが落ち込んでしまう結果となり、日本経済にとっては功罪相半ばする、といった感じでしょうか。でも、日本からの海外旅行では円の強みを生かせるので、日本の方はぜひ秋の行楽シーズン、ぜひ中国にお越しください。だけど、僕の場合、日本旅行(「一時帰国」と言うべきか…)しようとすると、これはかなりの痛手となりかねない(泣)。学校からいただいている給与は、100%元建てなので…。「ま、いっかー」という僕の口癖も、この件ばかりは空しく虚ろに響いてしまいそうで、怖いような気も…。

 あれ?ところでこの文章は、上で書いた3つの理由のうち、いったいどれに最も適合しているんでしょうね?う~む。

 

ポリポリと 頭掻きつつ 書くブログ

 僕は、自分の書いた文章、とりわけ日記の類(たぐい)については、あとで読み直しをしたり、推敲したり、という作業とは縁がない。理由は「面倒くさい」から(笑)。というのは冗談で、あとになって、あれこれと文章をこね回すと、書いていたときの僕の気分が、きれいに拭いとられてしまう気がしてしかたないからなんです。だから、ときには、誤字脱字があったり、何となく読みづらい文章に出会ったりすることもあるかもしれませんが(いや、かなり高い可能性でありうるな…)、その折は、どうかお目こぼしください。

 とか何とか言いながら、連日ブログ日記を更新しながら、「僕のこんな他愛もない独り言によく付き合ってくれるよなぁ」と、思わず頭をポリポリと掻いてしまうことがあります。ポリポリ。昨日は久しぶりに、mklaoshi(同じ武漢市内の大学の外教で、現在博士課程にもご在籍中です)のブログを読ませていただきました。彼女のブログは、女性らしい感性というか趣(おもむき)があって、文章の品格という点で、僕は全く太刀打ちできない、というのが正直な感想です、いや、本当に。僕の場合、その場の思いつきを、ダダダッとキーボードを叩いて、何とか形あるものにしようとしているにすぎないのかもしれないな、と思う。それでもあえて読み直しもせずに「ま、いっかー」とアップロードしてしまうところが、僕の僕らしいところなのかもしれないんだけどね。ポリポリ。

***

 さて、話は変わって、今日のニュース記事から。

 世界で最も住みやすい国ベストランキング、という記事に出会いました。住みやすさの基準は何なんだ?と思いながらネット記事を読み進んでいるうちに、これは国連開発計画(UNDP)が発表した人間開発指数(HDI/人間の生活の豊かさを示すため「長寿を全うできる健康的な生活」、「知識」、「人並みの生活水準」の3つの側面の達成度の複合指数。具体的には平均寿命、就学率、15歳以上の成人識字率、調整済み1人当たり国内総生産(GDP)を用いて算出される)のランキングのことだと判明。このランキングによると、第1位はノルウェイ、日本は第10位でした。「なるほどねー」というのが僕の素直な感想。決して、大国・強国が上位を占めている、というわけでもありません。G7構成国では、第7位のフランスがトップで、日本はそれに次いでいます。アメリカは第13位。ちなみに僕の専門研究対象であったスイスが第9位と健闘しています。これも、納得。

 では、中国は?昨年の北京オリンピック、来年の上海万博、それに先日の国慶節60周年など、中国の近年の急成長ぶりに自信を深めている向きもあることと思います。しかし、今日の別のネット記事にあったように、「中国はまだ発展途上国、したがって国連負担金の増額は認めない」という意見もあります。そうした意見を念頭において、中国のランキング順位をあらためて確認してみることも、とても大切なことだと、僕は思います。どんな国にも、誇るべき側面があり、同時に克服していかなければならない課題もある、そのことを謙虚に、かつ冷静に受け入れること、これが国を愛する大学生に不可欠な姿勢だと言えば、納得していただけるでしょうか。

 もちろん、国慶節・中秋節休暇を楽しんでおられる方に、冷水をぶっかけるつもりはありません。ただ、ボク流「大学生やり方」の一端を話してみたかった、ということなんです。…ポリポリ。

西門界隈は退廃したか そしてノーベル賞への思い

 最初から重い話というのは、僕も気が進まないけど、やっぱり書いておくしかないな。もし、愚痴話に興味のない方は、どうか前半部分は読み飛ばしてください。

***

 10月1日からの国慶節休暇に入って、僕の住む西門付近では、居住環境がひどく悪くなっている。前にも書いたことがあるけれど、深夜11時過ぎまで、場合によっては午前0時近くまで、酒を飲みながら大騒ぎをしているグループがいるのである。

 今日も、ほんの5分前まで(つまり午後11時です)、甲高い女性の嬌声や知性を感じない笑い声が響きわたっている。このグループの大半は10人ほどのアフリカ系留学生と思われる男たち。それに1人か2人の東洋系の女。こんな組み合わせですね。西門そばにできた飲み物と軽食を提供する店が、舗道にテーブルを出し、そこでビールなどのアルコールを提供しているのだけど、西門近くの居住区で営業をする以上は、ここの住民と共存できる配慮をすべきだし、周辺に迷惑をかけている客には、それなりの厳しい対応が必要なはずです。それができないというのなら、金儲けが第一で、キャンパス内の環境維持には関心を払ってないことを宣言しているようなもの。大学というのは、国際的に通用する教養を身につける場です。それができない店は、営業停止処分が相当だし、知性のかけらもなく、ただ自分たちが楽しければそれでいい、と騒いでいる幼稚な学生は、キャンパスを立ち去ってもらいたい、と僕はかなり真剣に思う。もっとも、立ち去るだけの論理的思考能力があれば、そもそもあんな馬鹿騒ぎはしないはずなんだけどね…やれやれ。

***

 さて、話は変わって、国際ニュース。今日から、ノーベル賞各賞が、順を追って発表されることになっている。今日は、「生理学・医学賞」。前回は、物理・化学部門で日本人研究者が相次いで受賞をしたけれど、今年は、そんな豪勢な受賞の可能性は少ないにちがいない。それでも、文学賞では今年も村上春樹が候補にノミネートされているとも伝えられているので、う~ん、結果やいかに?いずれにしても、こうした賞を与えられるためには、地道な基礎研究なり、自分なりの独自の着眼点からどれほどの時間とコストをかけてでも貫き通す意志なりが不可欠だと思う。そう言ってる僕自身には、それほどの潜在力はないので、書いていて、お恥ずかしいかぎりなんですけど。そして、もっと肝心なことは、今の中国に求められている「学問力・研究力」の要諦も、実はそこにあるのではないか、ということです。

 いつか、中国が生み出した現代作家にノーベル文学賞が授かる日を、僕は心から待ち望んでいる、いや本当に、です。

有為無常 十六夜に寄せて

 昨日は「中秋節」。日本でも、旧暦8月15日にあたる昨日は「中秋・仲秋」と呼ばれ、十五夜の名月を楽しむことが慣(ならい)とされてきた。これが、いわゆる「中秋の名月」なのである。

 もっとも、昨日は、午前中から夕方まで、青島時代の卒業生二人と、東湖周辺を散策してゆっくりと過ごした。体力的には、若い二人には、ちょっと敵わない(泣)。それでも、山東省から二人がわざわざ会いに来てくれたことは、僕としては素直にうれしかった。「また、会おう。」バス停で手を振りながら僕は二人を見送った。

 夕方からは、L主任のご自宅にD老師やYさんともども招かれ、「月見の宴」を楽しむことに。ところがL主任手作りの料理、それにとっておきの原酒のうまさに、月見のことなどすっかり忘れて、心地よい酔いに時の過ぎ去ることさえ忘れてしまうほどだった。L主任、昨夜は深夜まで長居をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。それにしても、あの唐揚げはおいしかったですよ。サソリの唐揚げ!

***

 ところで、ここまでは話の枕。今日ネットニュースを読んでいて、はたと目が止まったニュースがある。どんな人生にも、月と同じように満ち欠けがあるものだ、と考え込んでしまうニュースだった。

 中川昭一・元財務相(56)の急死。わずか8か月前までは、麻生総理の右腕として、政界で活躍していた彼が2月にローマで開催されたG7(7カ国財務相・中央銀行総裁会議)で、ろれつの回らない「もうろう会見」をしてしまい、大臣を辞職。さらに8月の衆議院選挙でも落選し、国会議員ですらなくなり、名実ともに「無職」になってしまっていた。捲土重来を期して、再出発しはじめたばかりの中川氏が、こんな形で人生を終えることになるというのは、月並みの表現で恐縮だけど、同情を禁じ得ない。たとえ僕が、中川氏と全く異なる政治観をもっているとしても、だ。中川氏の享年56歳。僕より5歳年上であるにすぎないし、僕自身が9カ月ほど前に危うく命を落としかけたという経緯もあるだけに、その思いはよりいっそう深いものがある。

 欠けてゆく月も、やがて満ちてゆく…そう言えるためには、当たり前のことだけど、健康管理を疎かにしてはいけないのだ。あらためて、僕はそう思った、つくづくと。

 窓の外では、今、十六夜の月が夜空を照らしている。その月を眺めながら、僕は「有為無常」という言葉を反芻しつづけている。いずれにせよ、立場の違いを越えて、中川氏のご冥福を心からお祈りしたい。

ようこそ武漢へ そして焼きそば さらに夫婦別称制 (これって三題話?)

 連休2日目。朝、携帯電話に連絡が入る。「先生、今、武漢に着きました。」青島時代の卒業生からである。彼女と当時のクラスメートLさんの二人で、このゴールデンウイークを利用して、わざわざ山東省から訪ねて来てくれたのである。今日は、二人で漢口を歩き、明日は僕が武昌をガイドさせてもらうことになっている。先日のF老師に続き、懐かしい顔に出会えるのは、本当に心が躍る。まず二人に書ける言葉は…、そう、「久しぶりだね。ようこそ武漢へ!」

***

 昼ご飯は、4年生のZ君を誘って、群光広場の地下食堂街へ。ここに、牛丼を出してくれる店ができたので、一度は味見に行こうと、前々から思っていたのだ。味は、まあまあ。韓国風スープとキムチの小皿がついて16元。値段もさほど高くはない。たまに、ここに立ち寄って、さっと牛丼を掻き込むというのも、貧しかった学生時代の「贅沢」を思い出すことができて(笑)、決して捨てたもんじゃないな、と思う。

 食後、ついでに地下のスーパーにも立ち寄る。輸入品コーナーに、わずかではあるけれど、日本食材が増えていた。うどん、日本そば、生麺タイプの焼きそば、天ぷら粉、調味料など、何となく和食風味が恋しくなったときに思い浮かぶ食材が、棚に並んでいた。これも結構うれしい。僕って、こんな単純なことで、ルンルン気分になれるタイプなんですよね、割と。で、実際に、焼きそばにふらふらと手が伸びて、さっそく買い込んでしまいました。というわけで、今日の晩御飯は、野菜盛りだくさんの焼きそば定食、となりました。

***

 最近、自分でも薄々気づいているのだけれど、体調なり気分なりが万全でないときに、しっかりと自分をサポートしてくれるのが「食」なんですね。そのせいか、本当にここのところ、食べ物関係で頭の中は満杯になっていたりします。

***

 近頃の僕のもう一つの関心事は、日本の政治状況。おそらく次期通常国会では「夫婦別称制」法案が、与党側から提出される可能性が高まってきました。周知のとおり、日本の民法によれば、夫婦の一方が相手側の姓に改姓することが求められています。この規定を削除するか、さらに改姓するかどうかを当事者の意思に委ねる「選択的別称制」の採択をめざしているようです。

 さて、こうした法改正、メリットとデメリットがあるようですが、皆さんはどちらに賛成なさるでしょうか?ヒマな時にちょっと考えてみてくださいね。

国慶節60周年に寄せて

 今日は、日本では「衣(ころも)がえ」の日にあたる。夏物を片づけて、秋・冬物を出すのである。季節の変化に合わせて、日常生活の端々に至るまで、周到な準備を怠らない。そういうところに、自然との調和を大切にする日本人の細やかな配慮が現代にも息づいている(…と言うと、ちょっと大げさだろうか)。ここ武漢では、まだ夏の名残りが感じられるせいか、夏服でキャンパス内を歩く学生、教職員も多い。僕は、9月に入ってようやくクールビズからサマースーツに「衣がえ」をしたんだけど、そのたびに学生からは「先生、その格好、暑くないですか~?」と訊かれてしまった。う~む。それでも、たぶん、今年も10月いっぱいまでは、サマースーツにネクタイというのが僕の「仕事着」であることに変わりはない…と思う。ま、このスタイル、日本ではもう薄着の部類に入るので、学生諸君、どうかお気遣いなく(笑)。

***

 ところで、中国では、今日から8日間の連休。初日の今日は、「国慶節」。日本流に言えば、建国記念日で、今年はちょうど建国60周年にあたる記念すべき年なのだそうだ。北京の天安門広場をはじめ、全国各地で祝賀式典が盛大に行われていることと思う。僕は、ふだんTVは見ないので、その様子を確かめてはいないけれど(…どもども)。

 それでも、昼ご飯を食べに街中に出かけると、いつもとは違う喧噪に街全体が包まれているようにも感じられた。歩きながらも、街のあちこちに「五星紅旗」(ウー・シー・ホン・チー/これが中国の国旗の呼び名です)が飾ってあるのが、目についた。まさに、「祝日」なんですね。というわけで、少し遅まきながら、ひと言:

 祝大家国庆60周快乐!

 なお、胡锦涛国家主席が本日述べられたように、中国が「社会主義現代国家」へ向けて、全面的かつ調和のとれた小康社会を実現すべく―たとえどんなに歩みは緩やかでも―多くの課題を乗り越えていくことを、僕は祈っています。いや、マジで。ではでは。

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一石亭華中

Author:一石亭華中
ようこそ、本ブログページへ。
一石亭は中国在住8年目を
迎えました。
でも中国語はまだ初歩の初歩。
趣味は「お仕事」と散歩、それに写真撮影。
あ、それからお昼寝も…趣味のうち、かも…。

YouTube今週のウタちか

凹んだとき、元気がでないとき、僕を支えてくれ、力づけてくれるウタを週替わりで紹介します。ちょっと古い歌が多いかも…ですが。今週も「ちょっと切ない歌」を。

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