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30年後…

 よく人から聞かれるものの一つに、二者択一型の問いがあります。たとえば性格判断テストで出てくるような。

 ―「あなたはイヌ派、それともネコ派?」

 ―「旅に行くなら海、それとも山?」

 ―「将来住むとしたら都会、それとも田舎?」

…エトセトラ(1)

 面と向かって突然女の子からそんなことを聞かれたとしたら(男の子からそんな質問をされることは、残念ながら?めったにない)、僕はたいてい「うーん」と唸って(2)、しばらくは答えに窮して(3)しまうに違いない。聞かれた時のシチュエーション(4)やその日の僕の気分ないし体調によって、答えはそのつど(5)異なる、ということも十分にあり得るからだ。

 それでも、冷静になって「究極(6)の選択をしろ」と問い詰められでもしたら、僕は「田舎に暮らしたい」と思っている「山好き」の「ネコ型」人間である、とまあおそらくはこんなふうな答え方に落ち着くことになるんだろうな、って気がする(あいまいな表現ですみません)。

 

 実際、僕はどちらかといえばマイペース(7)型の人間で、うまく人と調子を合わせることが苦手だから、やたら(8)と忠実ですぐに人になついて(9)しまう犬より、、「個人主義」的生活が信条のネコたちの方に、かえって気安さを感じてしまう。その方がお互いに気疲れしないですむのではあるまいか、と。山や田舎への志向性は、もう自分の幼少体験が決定的な素因となっている。…つまりすっごい田舎育ちってことです、僕は。

 

 というわけで、今日はふと30年後の自分について想いを馳せて(10)みたわけです。もしかすると中国の小さな村の一軒家でネコを膝に抱いて、日向ぼっこ(11)をしている僕の姿を…。

 しかしまあ、それはそれできっと幸せな老後なんだろうな、と僕は思う。それもほとんど確信的に。

 

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僕の不思議な禁欲(?)生活

 僕は本来TVや新聞が大好きである。何といっても僕はTVアニメ第一世代だし(などというと年齢がすぐにばれてしまうけど…)、「新聞大国・ニッポン」に生まれ落ちた(1)者としての(2)が僕を、真新しい(3)刷りたて(4)の活字がぎっきりと詰まった新聞抜きにすますことのできない体質にしてしまっているからである。毎朝、起きたばかりの寝ぼけ眼(5)で朝刊を2紙読まないことには、(本当に冗談抜きで)「禁断症状」(6)がでるぐらいだ。年に何度かある「新聞休刊日」の朝などは、「あー、そっか。今日は新聞が届かないんだった」と思ったとたん、なんとなくイライラ(7)感が募り(8)はじめる。要するに、コーヒー・たばこ・新聞は僕のお目ざめ「3点セット(9)なのである。

 

 ところが中国に来てからというもの、TVはめったに見ないし、新聞も手にすることはほとんどない。TVは液晶(10)型で、寝室の壁にかかっているから、ベッドに横にならないと見ることができない。ところが、僕はベッドに入ると3つ数える前に寝息を立ててしまうので、見ている「時間」がないのだ。「人民日報」は自宅には届けてもらえないので、寝ぼけ眼で「ふ~ん」と飛ばし読み(11)することもできない。うーむ(悩)。

 僕の敬愛する師匠は、強い信念をもって、むかしから酒・たばこ・TVを身辺から遠ざけておられるのだけど、僕の場合は恥ずかしながら、望むと望まざるとに関わらず、結果的にTV・新聞に対する禁欲生活を送っている、だけのことで…。それでも大した禁断症状もなく、なければないで「ま、いいか」で済ますことができている今の自分は、我ながらちょっと不思議ではあるけど。

 それが、日本に一時帰国したとたん、TVの前に釘付け(12)(といっても我が家では、TVはNHK専用に近く、民放などほとんど見ない)になり、「新聞どこ、新聞どこ?」とうわごと(13)のように繰り返すのだから、むしろその方が他人の目には不思議に映るかもしれない。

 

 ところで、明日は3年生「新聞講読」、4年生「日本の社会と文化」の授業。それを、こんな今の僕が担当していることが、実はいちばんの「不思議」なのではあるまいか、などと不意に(14)思ったりする今日の僕なのである。

 

 

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ストレス時代を生き延びるために

 昨日ストレスの話を書いたら、けっこう反響があった。

 たまたま昨日夜の授業(3年生「日本語作文」)でも「突然死」の話題が教科書に取り上げられていた、ということもあるかもしれない。

 

 いまや我々はストレス社会に生きている。日本といえば「過労死」という言葉を思い浮かべる学生もいるくらいだから、かの国については、ここであらためて言うまでもない。僕の身の回りを見渡すと、ストレスを抱えた学生は決して少なくない。しかも、3年生は日本語能力1級試験、4年生は進学・就活…傍目に見ていてもそのストレスは並大抵のものではなさそうである。

 

 ストレスのいちばん怖いところは、それをなかなか自覚できないところにある。目に見えない精神的なストレスが肉体疲労感まで麻痺させて、取り返しのつかないことになる、というようなケースもまれではないという。

 だから、もし君が「最近、なんとなく落ち込んで、やる気がでない」とか「いくら寝ても疲れがとれない」と思ってるとしたら――

 たまにはすべてをばっと忘れて、芝生にごろりと寝転がってみませんか?

 目にしみるような青空にさらされて心の風通しをよくしてみませんか?

 大きな声で笑ってみませんか?

 何かここにコメント書いてみませんか? [ …あ、こいつはただの「自己宣伝」か(笑) ]

 

 僕らの時代を生き延びるために。

 

【ある若い友人へのメッセージとして】

道  標 (みちしるべ)


目を閉じても 世界が消えてなくなるわけじゃない

耳を塞いでも 愛する人の声が掻き消えてしまうわけじゃない

心を閉ざしても 降り注ぐやわらかな日差しが闇に変わるわけじゃない


目を開いてごらん

耳を澄ましてごらん

心を開け放ってごらん

世界が、愛する人の声が、降り注ぐやわらかな日差しが

君を優しく包み込んでいる


そして、ほら――


いつだって僕がここにいるのだから。

君が行くべき道の

ひとつの標(しるべ)として

 

 

 

 

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コタツ到着――さらば愛しき暴走の日々よ

 ―少し暴走気味(2)だった先週。

 週20時間の授業。宿題の添削。ブログの更新。国際交流行事。それに運動会の準備などなど、

 一日の隅々まで予定で埋まって(3)いた一週間だった。

 気持ちにゆとりがなくなっていた証拠に、「ま、いいか」という魔法のコトバさえ僕は口にしていなかったのだ。ブログに書いたここ数日の日記を読み返してみても、何となく妙にむきになって(4)肩に力が入っているような、読んでくれる学生の顔さえちゃんと思い浮かべてはいないような、そんな文章ばかり。僕は思わずため息をつく。ふぅ、本当にやれやれ(5)だ。

 あ、そういえば、最近、「ま、いいか」の代わりに、こんなふうに「やれやれ」とつぶやく回数の方が多くなっている。これはよくない兆候(6)、なんだろうな、やっぱり。こんなときは、何かしらストレスを解消する手段が必要だ。

 

 以前の僕のとっておき(7)のストレス解消法は、熱いおフロ。もわっと(8)湯気の上がるお湯にどっぷり(9)と肩までつかって(10)、じっくり(11)と汗を流せば、たいていのストレスはきれいさっぱり(12)洗い流すことができる。でも、ここ中国では、それは、夢のまた夢。キャンパス暮らしには、贅沢の極み(13)です。

 武漢での一番のストレス解消法といえば、やっぱりのんびりとキャンパス内を散歩することだけど、ここのところ天気が不順で、イマイチ(14)「爽快っ!」て感じには、どうしてもなれない。

 

 そんな悩みの日々も今日でついに(15)終わりを告げた。実は、待ちに待った(16)コタツ(17)が、今日僕の部屋に届いたのだ。これは僕にとって(相当控え目に言っても)究極の「癒し」型家具、なのである。部屋に差し込む冬の柔らかい日差しの中で、温かいコタツに足を突っ込み、ミカンでも剥きながら、ゆっくりと過ぎてゆく時間を飽かずぼんやりと眺める。眠くなったら、コタツにすっぽり(18)潜り込んで(19)転寝。その至福(20)の「癒し」が僕を待っているのだ。

 現金(21)なもので、そう思っただけで、ギトギト(22)バリバリ(23)と暴走気味だった僕の日々は、一転して(24)穏やかな春の海のようになった。さらば愛しき暴走の日々よ、って思わず遠い目をしてしまいそうなほど(これはちょっと大げさ)。

 

 明日からは運動会。僕は健美体操、60m走それに40m×8混合リレーにも出場せよとのお達し(25)。昨日までの僕ならシクシク(26)泣いてたかもしれない。でも今は「ま、いいかー」と、すこぶる(27)まったりと(28)受け入れられる気分になっているのだ。

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純粋笑話批判―自己弁護のための立論

 南の島の男の笑い話(10/26ブログ日記「ホモ・サピエンス化」所収)について、「まさに『冷笑話』ですねー」という批評とそれに賛同する意見をいくつかいただき、少なからず凹んで(1)います(笑)。

 中国語の「冷笑話」とは、思わず「さぶっ!」と引いてしまうような寒いジョーク、たとえば「オヤジ・ギャグ」 (2)などを指すようです。そう言えば日本にいる頃にも、よく中高生から「さぶっ!」と、刺すような痛烈なリアクションをもらったことがあります。ああ、僕に「成長」という2文字は縁がないのだろうか、と思い悩むこと半日。立ち直って、ちょっと自己弁護のための反論を企ててみることにしました。

 

 なぜ「南の島の男」の話が「さむい」(≒つまらない)のか。一つにはその内容、もう一つはその表現技法に問題があったと考えられます。いやいや、これはセンス(3)そのものの欠如(4)、といわれればそれまでだけど、そういう究極の批評はさておき…。

 僕は、この話をある映画で見たとき、正直、噴き出してしまったんです。その意味では、本来「面白い話」であるはずなのです。それが、どうして別の人には、面白くもなんともない話に聞こえてしまうのでしょう。

 

 そもそも「寒さ」という概念をもたない人間にとって、寒さの体験というのは、想像を範囲を超えたものだけに、それに対するリアクションは、「寒さ」を知っている者にとっては、喜劇にしか映らないものです。僕は、「南の島の男」の目線(5)から、彼の驚きを想像し、僕の知っている世界とのギャップに思わす噴き出してしまったわけですが、「つまらない」と感じた方は、「寒い」ということを常識として知っていて、この話の結末を聞いたときに、彼をの驚きを「想定の範囲内」と捉え、「どうせそんなことでしょう」と感じてしまっているのではないでしょうか。そこでの目線は、あくまでも現実の自分たちの側からのものです。

 

 笑いを生み出す原動力の一つは「想像力」であり、このお話も自己の側から目線をずらすから面白いとなるはずだった、のですが、やっぱり僕の表現力が不足していたのか…。

 

 蛇足(6)ですけど(と僕が言ったとき、決してそれは「蛇足」ではないことが多いので、ご注意を!)、実は、先日の<毒舌先生>のアドバイスも煎じつめると(7)同じ事をおっしゃっていたのです。それを面白い、と感じるためには、その「ズレ」(8)の向こう側と、こちら側について、ただ表面的なことだけでなく、あらかじめ十分な基礎知識が必要だということなのです。

 たとえばブログ日記「反省するサル」で、「サルが反省をすることでホモ・サピエンスに進化する」と言ったとき、反省しているサルのポーズを連想し、次いで、ダーウィン的進化論に描かれるサルからヒトへの変遷図を思い浮かべ、その顔が僕である、という姿を読みとることができた人には、それなりに面白さがあるのではないかと思うのですが…

 

いずれにせよ、これすべて自己弁護のための「純粋批判」。寒さ身にしむ今日この頃、おでんでも食べて体を温めるよりほかありません。「今煮える 関東(イマニエル=カント)煮の湯気(9) 秋深し。」←これが本当のオヤジギャグ。おあとがよろしいようで…。

 

【連絡】院生2年グループの方へ:本日のブログ日記は、内容的に翻訳には向いていませんでしたね。申し訳ありません。したがって中国語訳はいりません。本科生の方も本日のブログは読み飛ばしてかまいません。

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新・海辺の街のお話(第3回)

本編は、日本語学習用のフィクションです。実在する個人・団体等とは何の関係もありません。念のため(笑)

 

 機体はさらに下降を続け、やがて眼下に地面が近づいた。まっすぐ一直線にのびた滑走路(1)の上にはすでに青白い誘導灯(2)がともり(3)、ランディング(4)態勢に入ろうとしている機体を待ち構えて(5)いた。

 ランディングの瞬間、滑走路と主脚のタイヤがこすれあう(6)音と、機体の軽いバウンド(7)感が、僕を少し緊張させた。どういうわけか、飛行機に乗るたびに僕は、(とくに着陸の瞬間には必ずといっていいくらい)座席の両脇のアーム(8)の先端を包み込む(9)ようにしてぎゅっと(10)握りしめてしまう癖があった。そして前に体がせり出す(11)ような減速感が途絶え(12)、到着を告げる機内アナウンスの声が聴こえるまで、その緊張感は収まらないのだった。

 ところが、まわりに座っていた多くの(偏見ではないと思うけれど、おそらくは中国人の)乗客は、機体が滑走路上を移動している間にも、もうこれ以上は待ちきれない(13)といった感じでシートベルト(14)をはずし、携帯の電源を入れ、そして中には早々と頭上の収納棚(15)から自分の機内持ち込み荷物を引き出そうと立ち上がる者までいた。まるで1秒でも早く、たとえ他人を押しのけて(16)でも機内から脱出することが、今の自分にとって最高の選択なのだと確信しているかのような勢いだった。もっとも、そんなふうに立ち上がった乗客には、女性乗務員の、「まだお立ちにならないでください!」という、いささか険のある声(17)が容赦なく(18)浴びせられた。機内のあちこちで携帯の着信音(19)が鳴り響き、僕には聞き取れない中国語が飛び交った。

 僕は窓から見えるいささか古ぼけた(20)空港の管制塔(21)を眺めながら、体の緊張が胸のあたりから手足の末端に向かってゆっくりとほぐれてゆくのを感じた。やがて機体が完全に停止し、今度こそ一斉に乗客が立ち上がり、我先に(22)と出口に詰めかける(23)のをしばらくぼんやりと眺めていた。そして、最後列の客が僕の横を通り過ぎた後、僕は、あたかも(24)世界でいちばん臆病なウミガメ(25)のように、のろのろと収納棚に手を伸ばし、小さな機内持ち込み用バッグ(26)を下ろした。

 入国手続きを終え、ベルトコンベア(27)で吐き出されてくるスーツケースを受け取ると、僕は出迎えが待ってくれているはずの到着出口に向かった。

 事前の連絡では、大学の外事処から差し向けられる(28)車と日本語学科の院生が僕を出迎えてくれる手筈(29)になっていた。僕の知っている院生といえば、派遣元の大学に、一昨年留学生としてきていた王星という優秀な学生しかいなかった。迎えに来てくれるとしたらおそらくは彼女だろう…という僕の予想は当たっていた。僕は彼女の人懐こい(30)笑顔を到着出口の人垣(31)の真ん中にすぐに見つけることができた。王星も僕を見つけると、右手を軽く振って駆け寄って(32)きた。一昨年彼女は学部の3年生、僕は博士課程の2年生で、なぜか僕たちは出会った瞬間から打ち解ける(33)ことができた。この歳になって人見知りの癖(34)が抜けない僕にとって、それは大げさでなく驚くべきことだった。王星はすぐに僕を「先輩」と呼ぶようになり、僕もまた愛称の「星星(シンシン)」で彼女の名を呼んだ。

「先輩、お待ちしてました。」

 彼女は、僕たちが初めて出会ったときから中国人離れした流暢な日本語を使いこなすことができた(35)。しかし、しばらく会わないうちに、彼女の日本語力は一段と洗練されたものになっていた。

「ありがとう、星星。でも、本当にずいぶん長く待たせてしまったね。」

 結局、到着時刻は4時間近く遅れた。その間、彼女はずっと空港内の待合ロビー(36)でひとり、僕を待ってくれていたに違いない。

「大丈夫ですよ。先輩こそ飛行機が遅れて、お疲れでしょう?」

 春の森の奥深くに住むもっとも心穏やかな小動物がときおり(37)見せるような潤いのある黒い瞳をまっすぐ僕に向けて星星は言った。

 僕たちはどちらからともなく手を差し出しあい、久しぶりの握手を交わした。彼女の小さく柔らかい手のぬくもり(38)が、僕の記憶の中に残っているものと少しも変わっていなかったことに、僕はささやかな安堵(39)を感じた。

(つづく)

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ホモ・サピエンス化

明け方、寒くて目が覚めた。

 いつの間にか掛け布団を跳ね飛ばしてしまったらしい。僕は毛布1枚にくるまって寝ていた。時計の針は5時を少し回ったあたりを指していた。寒さのせいで眠りが浅くなっていたのか、何度も夢を見ていたようだが、どんな夢だったのか、ほとんど覚えていない。でも、その夢の中に何か大切な忘れ物をしてきてしまったような気がした。さて、僕はいったいどんな夢を見ていたのだろう…。

 僕は布団をかけ直して、もう一度眠りについた。今度は夢に出会うこともなく、ぐっすりと熟睡した。

 午前10時、布団から這い出たとき、僕はもう二足直立「思考」のホモ・サピエンス(1)に進化していた。

 

 それにしても寒さで目が覚めるなんて、今年初めて、である。すでに武漢は晩秋を迎え、目に見えないところでそっと冬支度(2)も始まっているようだ。朝の道には、枝を離れたプラタナス(3)の枯れ葉が散り、人に踏まれてはカサカサと乾いた音を立てていた。

 

寒くなってくると、決まって僕が思い出す「笑い話」をひとつ。

 

常夏の南の島で生まれ育った男の話である。

彼は「ホワイトクリスマス」というものを体験してみようと、せっせとお金を貯め、生れてはじめて北の国へやってきた。ところが空港に降り立って間もなく、彼は今まで経験したことのない体の不調を訴え、救急車を呼んでもらい、病院に運び込まれた。まるで血行(4)が完全に止まったかのように、体が冷え、手足がしびれる(5)。うまく口をきく(6)ことさえできない。体の震えはいつまでたっても止まらない。彼は自分の不運を嘆いた。せっかくの旅行中にこんな重い病気にかかるなんて、と。

診察してくれた医師は、体温を測り、聴診器を彼の体に隈なくあて(7)、やがて、「そうか!」という顔をして、患者を不安に陥れないよう、作り笑顔を見せた。

「ドクター。私はどんな病気なのでしょう?まさか死ぬ、なんてことはありませんよね。」

 男はうまく回らぬ口で尋ねた。

「残念ながら、…」と医者はためらい(8)がちに答えた。

「残念ながら、あなたの病気は、私の手には負えません(9)薬も注射も効き目はないでしょう。」

男は目の前が真っ暗になった。「で、では、どうすれば…。」

「いいですか、心を落ち着けて聞いてください…。あなたのその症状は「病気」じゃありません。

それは、寒さ、というものなのです。今のあなたに必要なのは、まず暖かいセーターとコート、それに手袋(10)を買いに走ることです」

男はいつもの薄いTシャツに半ズボン姿だった。窓の外ではマイナス10度の冷たい風が吹き抜けていた。

 

 あー、今日は字数制限のない日なので、まだ書いてもいいのである。気分いいなぁ。

 さて、今やホモサピエンスとなった僕は理性の目であたりを見渡した。と、部屋の中は、昨日までの「おさるさん」化していた僕の原始的「ねぐら」(11)状態となっていた。

 石鹸(12)もない、ティッシュペーパー(13)、トイレットペーパー(14)もなし。あ、飲水器用の鉱泉水のボトル(15)も空になってたっけ…。

  どうやら、人間に戻った僕が最初にやるべきことは、買い物と掃除と洗濯のようである、やれやれ…。 

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反省するサル

ウッキー。

今日の僕は、突然変異(1)の反省ザル、なのである。

 午前0時に帰宅。今日こそは早めにブログの更新をしようと思っていたのに、またこんな時間になってしまった。こうなっては、もうあわてても仕方がない。ということで、今日のネタ(2)を考えがてら、コーヒーを入れながら、ここ数日のブログ日記を読み返してみた。

 …みると、僕はどうやら「忙しい」「あわただしい」を連発(3)していたようである。その事実は事実としても、いったい僕は何をバタバタ(4)していたのか。

 もとより「貧乏ヒマなし」(5)が僕の信条である。そういう生活を楽しんでいるはずなのに、愚痴めいたことを言うなんて、絵にかいたような「貧すれば鈍す」。鈍した揚句(6)、僕はお猿さん並みの知能になっている。いかんいかん。心のゆとりを忘れずに生きていこう、とサル脳化した僕が必死に反省する夜ふけ。すべてこれ反省ザルのつぶやき(7)である。

 さて、今日は、わが校で「日本・関西ウィーク」の諸行事が行われた。学内に桜の植樹が行われ、午後からは「中国人作家から見た日本・関西」というテーマでの講演会。僕はひたすら(8)写真班。今週僕は何百枚の写真を撮ったことだろう?もう取捨選択・整理するだけでも大変そうだ。

 

 夜はN老師の歓送会を兼ねた宴会。2次会はカラオケである。完全に酔っぱらってしまったおさるさんは歌まで歌う。何を歌ったかは、内緒…。というより、サルには、記憶力が欠如していて、覚えていられなかった…ということにしておこう。

まいいか、大丈夫。明日までにはまた僕もホモ・サピエンス(9)に戻ってるだろう。

 

午前0時半、さすがの僕も眠くなってしまったので、今日ははやめに休むことにする。

というわけで、おやすみ、みなさん。 ウッキッキー。

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Run!Run!Run! 走り続ける今日のために

今日も、時間の後ろをを追いかけて駈け続けているような1日だった。

 朝8時から、日本から来られているH大学N老師によるアンケート調査に、学生・教員とも協力させていただく。10時からはN老師による「特別講座」。日本におけるワーキング・プアの問題を、新聞記事や動画DVDを織り交ぜながらお話ししていただいた。僕にとってはその内容の面、その講義方法の面のいずれにおいても、示唆に富み、とても収穫の多いものであった。N老師には、この場をお借りして、あらためて感謝申し上げます。

 せっかく素晴らしいテーマ、素材をご提供いただいたので、来週のこの時間の、3年生(「新聞講読」)、4年生(「日本の社会と文化」)の授業で、この問題を僕なりの角度から掘り下げてみようと思っている。とりわけ、バブル崩壊後の「失われた10年」とそれに続く「小泉改革」の新自由主義的思考の嵐の中で、社会的弱者の切り捨てがどのように進行していったのか…。

 実は、そこでも「言葉」が重要な役割を果たしていることに僕は強い関心を持つ。弱者保護を目的とする社会的仕組みを「規制」というマイナスイメージの言葉で表現し、「規制緩和」を唱え、負け組の増大に対して「再チャレンジできる社会」を、と言う「新自由主義的」改革。人々はそれらの修辞技法に乗せられ、「格差社会ニッポン」をせっせと築き上げてきたのだから。かたや経済強国を目指して発展著しい中国。しかし、ここでも格差は人々の耳目を集めるほどに拡大し続けている。そういう意味で、中国と日本がお互いに学びあうべきことは少なくはない、と僕には思えるのだが…。

さ、どうなるニッポン。どうする中国?みんなで一緒に考えてみませんか。

 

かくして今日から明日へ。僕の足は止まらない。Run!Run!Run!走り続けることが今の僕の存在の証(あかし)である。

 

本日の講座などの様子は、「一石亭写真館」に掲載しました。ぜひそちらにもお立ち寄りください。

「一石亭写真館」(http://drmio.spaces.live.com

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「馬子にも衣装」の左前…もとい男前!

昨日から息をつく暇もなくバタバタと動き回っているので、ブログを更新するゆとりさえなかった。

だから、これは昨日の分として書いています。

***

 正確には、おとといの夜から時間に追い立て(1)られて、睡眠時間は3時間ほど。今朝8時から昼までぶっとおしで授業。しかも昼休みには、「外国語学院文化節」という、日本でいう文化祭が催される(2)。僕にもぜひ出席を、と学生から誘われていたので、せっかくだから和服を着ていくことにした(というか僕自身に「芸」がないので、そういうものでごまかすしかないのだ)。たまたま朝10時から院生1年の「日本文化論」の授業だったので、その直前の休み時間に大童(おおわらわ)(3)で着替え、和服で授業に入った。院生たちからは「わーすごい、『帅!』」と過分のお言葉をいただいた。「帅(shuai)」とは、日本語では「男前(おとこまえ)」(4)に当たる言葉である。

 と、懐手(5)をしようとして、おかしなことに気づく。右手を懐に入れることができないのだ。「あれ?」とわが身をよくみると、あわてて着替えたためにうっかり左側の襟が手前になる「左前」(6)で着てしまっていた。「左前」というのは、実はこの上なく縁起でもない格好なのである。学生のみなさん、「左前」の意味を、ぜひ辞書で調べてみてください。

 僕は冷や汗をかきつつ、再び大童になって着替える。かっこつけて和服を、と言いながら、こんな初歩的な着付けのミスをするなんて、まさに「大きななこども」(=大童)そのものである。

 残りの授業を終えてから、文化祭会場の学生たちのもとに「颯爽と(たぶん…)」駆けつける。それぞ、まさしく晴れの舞台、である。ほんの一瞬、超有名芸能人になったような有頂天(7)気分。おかげさまで、僕はもう一生分の「帅」の言葉をかけていただいた、ような気がする。たとえそれが、「馬子にも衣装」(8)で、実は僕にではなく着物に向けられた賛辞の言葉であったとしても。

 

語注・中国語訳を読むには、下の《続きを読む》をクリックしてください。

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書き過ぎ症候群 Overwriting Syndrome

 止まらない*。

 時間さえあれば、僕はパソコンに向かい、こうして文章を書き続けている。別にいくら書いたからといって、文章技術が向上するわけでも、誰かに何か褒美(1)がもらえるわけでもないのに、僕は何かを書かないではいられない。これを僕はやや自嘲(2)の思いを込めて「書き過ぎ症候群(3) Overwriting Syndrome」と名付けている。

 

 今日、院生の授業のときにXさんから、こう告げられた…「先生の文章、長過ぎる。」

 彼女の話によると、本科生からもそういう意見を何度も耳にする(4)そうだ。他の院生もあからさまに(5)「同意!」の目つきで、ウンウン頷いて(6)いる。(うーん、そうか、そうだったのか。)挙句の果ては(7)、「せめて(8)『天声人語(9)』くらいの長さにしておいてください」、で、また全員揃ってウンウン。

 やれやれ、と僕は思わずため息をつく(10)。むろんそれは彼女たちに対してではない。「天声人語」のようにやさしい日本語でしかも濃密な文章を書くのは、並大抵(11)のことではないのに、僕はそんな文章力など到底持ち合わせては(12)いないからだ。

 

 僕は話下手なくせして、書きだすとなかなか止まらない。というよりも、書くことによってはじめて、僕は僕自身の外縁(13)なぞり(14)、僕という存在を再確認できるらしい。書かないことには、僕は僕自身をうまくつかめないのだ。

 それはさておき、結局、僕は彼女たちの要求に応じることにした。そのかわり、といってはなんだけど、院生グループ(2年生)には、僕の月曜日から金曜日までのブログ日記を中国語に翻訳してもらうことに。土日の分には翻訳はつかない。

 

「だから先生、土日は、遠慮なく好きなだけ長くブログ書いてください」

なのだそうだ。やれやれ…**。

 

IMG_5461 (2) 

濡れて咲く花に惹かれる秋の道

 

*似たような話は旧ブログでも書いたことがあるけど、もう書いた本人も忘れているので、あらためて同じテーマで書かせてもらいました。

**ちゃんと800字以内にまとめましたよ、院生の皆さん。翻訳どうぞよろしく。締切は48時間以内です。

  

語注・翻訳文を読むには 《続きを読む》をクリックしてください

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散髪考

 僕は、基本的には散髪(1)は嫌いではない。
 襟元(2)や目に覆いかぶさるほど伸びた髪の毛を、切れ味(3)のよいハサミでシャクシャクと切ってもらい、ちょうどよい温度のお湯で髪を洗ってもらう。シャンプーとリンス(4)を洗い流し、髪が乾くまでの間、肩をマッサージしてもらうときは、気持ちよさのあまり、ほっとため息を洩らし(5)たりする。剃刀(6)を顔にあててもらうときもやはり、クリーム状に泡立った石鹸(7)のやわらかな感触や、しっかり研ぎ上げ(8)られた剃刀の冷たさが、もはや心地よさを通り越して、僕を眠りに誘いこむほどだ。もっとも、最後に整髪剤を髪にすりこみ、ドライヤー(9)で髪の形を整えてもらうときは、まじまじと(10)自分の顔や髪型を見なければならない立場に置かれるので、僕は気恥ずかしさのあまり、いたたまれない(11)気分になるのだが、そういうときは鏡に映る掛時計(僕がよく行く理髪店では、鏡に映った時計の表示板が裏返しに見えないよう、時計そのものが最初から裏返しにデザインされている)だとか、店内の調度品とかをぼんやりと眺めてやり過ごすことにしている。

 そんなことを言いながら、僕はまだ中国で髪を切ってもらったことはないし、日本にいても、そんなに足繁く(12)床屋さんに出向いたりはしない。そういうわけで、僕は中学生の頃から今日まで、どちらかといえば「長髪族」で通してきた。

 かつて、髪の毛は「命」と同じ重みをもっていたといわれる。俗世(13)を離れるときに剃髪するのも、もともとはそういう意味が含まれていたに違いない。さらに、日本女性にとっては、「みどりの黒髪」(14)こそが美の象徴でもあったことは、皆さんもよくご存知ですよね。

 

その子二十歳 櫛に流るる黒髪の

    おごりの春の うつくしきかな (与謝野晶子(15)「みだれ髪」所収)


 では、どうして男の場合、長髪がしばしば非難の対象になるのだろう。「むさくるしい(16)」「不潔」「女みたい」…まったく長髪族の男は立つ瀬がない(17)。これは偏見ではないか、とさえ思う。

  日本で男の、特に若者の長髪が流行したのは1960年代。このときはベトナム戦争や既存の体制や伝統的価値観に対する抗議を込めた「主張」として若者たちは長髪にGパンというスタイルをとった。

 しかし、今や時代は変わって、ファッションとしての「男の長髪」にもっと寛容な社会になっていてよいとも思うのだけど、いまだに社会の風当たりは強い(18)。たとえば今、中国の大学で、男の長髪が許されるのは、芸術系だけのようである。もともと芸術家は、(これは中国だけでなく日本でもそうだけど)社会秩序の埒外(19)に置かれた「自由人」(有り体に言えば「化外(20)の民」扱いである><)とみなされているきらい(21)があり、「まあ、彼らは、特別だから…」という感覚なのである。


 さて、僕もずいぶん髪が伸びてきた。そろそろ覚悟を決めて、髪を切ってもらいに出かけなければならないのだろうか。

 

【語注】 (written by たまちゃん今さん

 

1 散髪 [さんぱつ] 髪を切り、形を整えること
2 襟元 [えりもと] 襟の辺り

3  切れ味(きれあじ):刀的锋利程度、快钝。
4 リンス  /护发素
5 洩らす [も-らす] 「漏らす」と同じ 
6 剃刀 [かみそり] 
7 石鹸 [せっけん]  /肥
8 研ぎ上げる [と-ぎ-あ-げる] 研いだり磨いだりして、仕上げる。 /研磨

9 ドライヤー  /吹风机
10 まじまじ:凝视。目不转睛。
11 いたたまれない:精神的な圧力を受けて、その場にそれ以上にとどまっていられない /呆不下去

12 足繁く(あししげく):频繁地去(某地)
13 俗世 [ぞくせ]
14 緑の黒髪 [みどり-の-くろかみ] 女性の髪をほめていう語。

15 与謝野晶子(よさのあきこ):日本歌人、诗人。与谢野铁干之妻。以其热情奔放、充满幻想美的创作风 格,成为明治时代浪漫主义诗歌全盛时期的代表歌人。著有歌集《乱发》、《舞姬》、《白樱集》及《新译源氏物语》等。(1878-1942) 
16 むさくるしい: 汚れていて不潔である  /邋遢

17 立つ瀬がない(たつせがない):无立足之处的。处境尴尬的。

18 風当たりは強い(かぜあたりはつよい):受到的非难或压力很大。
19 埒外 [らちがい] 一定の範囲の外
20 化外 [けがい] 政治、教化などの影響力の及ばない地域。

21 きらい:有…之嫌。有…的倾向。

怖くてやがて哀しきは…

今日は話のネタを忘れてしまわぬうちに日記を更新してしまおう。

ちょっと怖い話である。

 江戸時代の有名な文学作品に上田秋成(1)の『雨月物語(2)』(1776)がある。前期読本(3)の代表作ともいわれる。この怪談短編集の中に「菊花の契り」(4)という話が出てくる。

 ある若者が、病で倒れた旅の青年を救ったことから、二人は義兄弟の契りを結ぶ。義兄となった旅の青年は、病が癒えたあと主君の仇を討つ(5)ため再び旅に出る。別れを惜しむ若者に、義兄は

「それでは、菊の花咲く9月9日、重陽の節句には必ず仇を討って帰って来よう」

と約束し、二人は別れる。

 やがて、9月9日となり、若者は義兄を迎えるため精いっぱいのもてなし(6)を用意して待ったが、日が沈んでも義兄は戻ってこない。待ちわびて(7)まどろんで(8)いると、いつの間に戻ってきたのか、義兄は目の前に頭を垂れ端坐して(9)る。驚きながらも喜び迎える若者に、義兄は、自分がもうこの世のものでないことを告げるのである。

 生国(10)に戻った義兄は、かつての同志の裏切りにあい(11) 、牢に閉じ込められ、敵討ちもかなわぬまま時を過ごした。そして若者との約束の日を迎えてしまった。彼は、ひそかに(12)思った。「駿馬(13)といえども一日に百里を駆けることは出来ぬ。しかし魂(14)は一朝(15)よく万里を往く」と。

 そこで義兄は若者との約束を果たすため、自ら命を絶ち、霊魂となって宙を駈けてきたのだという。義兄の魂は、それのみを伝えると、自分を信じて待っていてくれた義弟に謝意を述べ、忽然と(16)姿を消してしまう…。

 

 さて、昨日の夜のことである。日本の知人から唐突に(17)ネットで話しかけられた。

「今、どこにいる?」

「武漢だけど…。それがなにか?」

 知人曰く、僕を昨日東京で見かけた(18)者があるという。僕の幼馴染(19)にTという男がいて、舞台役者をしているのだが、その彼の芝居(20)を観に、僕が東京のとある(21)劇場に姿をあらわした、というのである。ずっと以前、僕がまだ東京に住んでいた頃は、Tに誘われてよく彼の芝居を見に行ったものだし、今でも帰郷すれば、彼の実家がやっているスナック(22)で、彼が注いでくれるビールを飲みながら深夜までバカな話に花を咲かせている。

 でも、現に今僕は武漢にいて、彼の芝居には行っていない、はずだ。

第一、僕はまだ生きてピンピン(23)しているから、そこに現れたのは僕ではなく、誰かと見間違ったのに相違ない(24)

 

 しかし、と僕はまた思う。その時間僕はよく転寝(25)をする。ひょっとすると、寝ている僕の体から魂がすり抜け、彼の芝居を見に行ったのではないか、と。とすれば、これは「菊花の契り」どころか「六条御息所(26) 」(『源氏物語』第九帖「葵」参照)並みである。

***

 みなさん、もしかすると僕の魂は、こうしてときどき天空を駆けまわっているのかもしれない。

 で、もしあなたが「逢魔ヶ刻(27) 」に僕を見かけて声をかけてくれたとしよう。そのときは、僕がそのままふっと掻き消えて(28)しまったとしても、決してあなたに憑りついたり(29)するものではないので、どうか恐がらないでやってほしい、と思う。

 

 IMG_5436 (3)

 ちょっと怖くて、やがて哀しきは、…。

 

【語注】 (written by つじさん+悠子さん+さん+東東さん)

1 上田秋成(うえだあきなり):日本江户后期浮世草子和读本作家、歌人、俳人、国学家。通称东作。因发表志怪小说的杰作《雨月物语》而知名,另著有《春雨物语》和随笔《胆大小心录》等。
2 雨月物語(うげつものがたり):将日本和中国的神怪故事改编而成。描写人的执着精神以及曲折有致的情节。日本志怪小说的杰作。

3 読本(よみほん):日本江户时代的一种小说。前期读本起源于近畿地区,以短篇居多,著名的有上田秋成的《雨月物语》。后期读本在文化文政时的江户确立起正宗地位,著名的有泷泽马琴的《南总里见八犬传》等。 
4 契り[ちぎ-り]〈名〉 /誓约,姻缘

5  仇を討つ:报仇。雪恨。

6 もてなし:招待。款待。请客。 
7 待ち侘びる[ま‐ち-わ-びる]〈他上一〉 /焦急的盼望
8 まどろむ〈自五〉 /打盹儿,小睡

9 端坐(たんざ):端坐。正坐。

10 生国(しょうごく):出生地。故乡。

11 裏切りに会う:被出卖。遭到被叛。

12 ひそかに:暗中。偷偷地。

13 駿馬(しゅんめ):骏马。跑得快的马。也读作(しゅんば)。

14 魂(たましい) /灵魂 魂魄 

15  一朝(いっちょう):一个早晨。一朝一夕。短时间。(副)一旦

16  忽然(こつぜん):猛地。突然。

17  唐突(とうとつ):冷不防。突然的。

18 見かける〈他下一〉 /见到

19 幼馴染(おさななじみ) /童年时代的朋友 青梅竹马

20 芝居(しばい) /戏剧 演技 圈套

21  とある:偶然而到的地方。某个偶然的日子或时间。
22 スナック〈名〉snack /小酒吧,点心,零食  

23   ピンピン:健壮。硬朗

24  相違ない:一定的。确实的

25  転寝(うたたね):打盹儿。打瞌睡
26  六条御息所(ろくじょうのみやすどころ):《源氏物语》中的人物,被光源氏抛弃后灵魂先后缠上光源氏的正妻、紫夫人及三公主。
27  逢魔ヶ刻(おうまヶとき):黄昏。傍晚

28 掻き消える[か‐き‐き‐える]〈自下一〉 /突然消失

29 憑(と)りつく / 附体  


 
 
 



お知らせ+報告かたがた

本ブログ開設から、やっと2週間が経過しました。

まだまだ五里霧中の「初期段階」、試行錯誤の出たとこ勝負――の真っただ中にいます。

 

「日本語の初中級学習者には、こういう配慮があった方が親切では?」というH老師からのアドバイスを参考に、ブログ日記の本文中に注番号をつけ、文末に【語注】を載せてみることにしましたいかがでしょうか(昨日分から)。

 

ちなみに、この「語注」は、本科読者ボランティアと院生グループが作成してくださっています。まだ語注作成に参加したことのない方でも、自分で調べた単語、表現などをコメント欄に書きこんで送ってくださるだけでいいので、とても簡単です。ぜひご参加を^^。 

 

※院生グループの皆さんには、後輩のために「任務」として作成をお願いしています。院生の方、責任重大ですので、できるかぎり速やかに作成のほどを。どうかよろしく!(笑)

そういう「舞台裏」になっている関係上、このブログ日記は、まずまっさらの僕の文章が載り、それに対するコメントととして語注が送られてきた段階で、「注釈つきのブログ日記」修正版へと進化することになります。ですから、前に読んだときとは、一風違った内容があとで加わることも多いので、復習を兼ねて過去の日記もたまには読み直ししてみてくださると、うれしいです。

 

他にも、こういう工夫があるといいな、というご意見ご要望があれば、どしどしコメント欄にお寄せ下さい。対応可能なかぎり改善に努めますので、どうぞご遠慮なく。

 

また、これまで「管理者のみ閲覧可」にチェックを入れてメール形式でコメントをくださっていた方にお願いです。「これ、本当に内緒話」というもの以外は、公開コメントにご投稿くださるよう、ご協力をお願いいたします。本名ではなくペンネームを使用していただいて結構ですし、メールアドレス等は不要ですので、どうぞよろしく。

 

以上、とりあえずお知らせ+報告かたがた、お願いあれこれ。へへへ。

 

一石亭敬白

 

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この花の心を君に伝えたい

 

ボク流「今日」の過ごし方

昨日の深夜、突然の停電。

僕たちは、もはや(1)改革開放前のフォークロア(2)の時代に生きているわけではない。電気が止まると、立ちどころに(3)支障をきたし(4)てしまう。パソコンはバッテリーの力でしばらくは現代文明の「光」を放っているが、1時間もすれば、物言わぬ(5)ただの冷たい金属製の塊になり果ててしまう。停電と同時にブロードバンド(6)接続が切断されてしまうので、ブログの更新もできず、コメントも読むこともできない。僕は、真っ暗になった部屋で、とりあえず(7)懐中電灯(8)を探り当て(9)、部屋の中を照らす。シャワーも暗闇の中で浴びる気にはなれない。諦めて、布団にもぐりこむ(10)より仕方がない。うつらうつら(11)としている間に電気が通って部屋が明るくなったが、わざわざ起き上がって電気のスイッチを切る気にもなれず、そのまま朝まで寝込んでしまった。僕の怠惰な原始人的生活。

 

7時半。やっと起き出してきて、部屋の電気を消し、熱いシャワーを浴びる。フランスパンをかじりながら(12)、パソコンのスイッチを入れ、新しい1日に立ち向かう(13)心の準備を始める。

10時、「新・海辺の街…」を書きつぐ。話はまだ始まったばかり。これから、どう展開してゆくのか、僕にも分らない。すべては主人公の「僕」に聞いてみるほかない(14)

11時、3年生3人、2年生ひとり来訪。文化祭に出品する日本料理の打ち合わせ(15)のため。おしゃべりをしながら、とりあえずみんなでおにぎりを作ってみる。梅紫蘇でほのかに(16)米飯に色をつけ中に梅干しを少し(梅干しが苦手な(17)子も結構いるので、本当に「ほんの少し」)入れてみる。

そのあとみんなで(Hさんのみはアルバイトがある、とかで先に帰っていった)南門からさほど(18)遠くないお店に「土豆粉」という麺を食べに行く。週に1回ぐらいは食べに行ってもいいな、と思う(これは僕にしてはかなりの高評価である)。

みんなと別れて、キャンパス内を散歩しながら写真を撮って回る。帰宅したとたん、急に睡魔に襲われて、午睡。何だか、昨日の夜から、やたら(19)と寝だめ(20)をしている感じがしないでもない。

 

夕方、知人のK老師から来電。久しぶりに街道口まで足を伸ばす(21)ので、よかったら一緒にお食事でもいかがですか、というお誘い。

「先生、ブログに『お誘いください』と書いていらっしゃったから」と。ふたりで新世界デパート近くのお粥屋さんに入る。世間に疎い(22)僕には有益なお話をいっぱい聞かせていただきました。K老師、お誘いくださり、ありがとうございました。

K老師とは、新世界デパート前でお別れし、僕は腹ごなし(23)の散歩をしながら帰宅。

 

光と人の群れと車の騒音の渦巻く中、

僕はまたひとり、時を「見つめる(24)人」になる。

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【語注】 (written by sarahさん+会说话的椰子さん )

1 もはや[最早]①〈副〉今となっては、もう、すでに /已经

2 フォークロア[folklore] ①〈名〉民間伝承、民俗学 /民间传说,民俗学

    ※ここでは、「すでに過ぎ去って取り戻すことのできない時代の」という意味

3 立ちどころに: 立即,马上
4 支障を来たす[ししょう・を・き・たす]: 带来不便,产生故障

5 物言う[ものい・う]③〈自五〉口をきく、話す、効力を発揮する /有用 

6 ブロードバンド:broadband 宽带(连接电脑网络用)

7  とりあえず[取り敢えず]③〈副〉たちまちに、まず、一応 /忙,首先,暂时

8 懐中電灯[かいちゅうでんとう]手电筒
9 探り当てる[さぐ・り・あ・てる]摸索
10 もぐりこむ:钻进,躲入
11 うつらうつら:迷迷糊糊,昏昏欲睡
12 フランスパンをかじりながら:一边嚼着法国面包,一边...
13 立ち向かう:对待,面临
14 ...ほかない:只能
15  打ち合わせ:事先商量

16 ほのか①〈形動〉かすか、うっすら、ぼんやり、ほんの少し/模糊,隐约,稍微

17 梅干しが苦手:吃不习惯梅干

18 さほど[然程] ⓞ 〈副〉それほど、たいして/并不那么(多与否定语句呼应)

19 やたらⓞ〈副・形動〉みだり、むやみ /胡乱,随便,过分,非常 
20 寝だめをしている:弥补睡眠不足
21 足を伸ばす:去,到
22 世間に疎い[せけん・に・うと・い]不谙世事,疏于交际

23 腹ごなし[腹熟し] ③〈名〉運度などをして食物の消化を助けること/助消化,消食

24 見つめる[見詰める] ⓞ 〈他一〉視線をはずさず、その物に見入る、凝視する/凝视,注视

 

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新・海辺の街のお話(第2回)

  
 午後3時に流亭空港に到着するはずだった中国東方航空便は「機材の整備のため」、出発が大幅に遅れた。ようやく搭乗手続きが始まったときには、すでに、その3時を過ぎていた。スケジュール通りにいっていれば僕はすでに目的地に到着して、入国手続きを済ませ、ベルトコンベアーで吐き出されてくるスーツケースをぼんやりと待っているはずの時間だ。
 「やれやれ」と僕は思った。 そして「人生は思い通りにはいかない」と、口の中で小さくつぶやいた。
 どちらかといえば、僕は一人でいることが好きだったし、ひとりだけで過ごす自由で静かな時間を愛した。僕のためにあれこれと親切に忠告をしてくれる友人も多くはなかったから、いつの間にか、こんなふうに独り言を言い、自分に向かって何ごとかを語りかける癖がついてしまっていた。
 いつだったか、僕はある女の子から、ほとんど唐突に、こんなことを言われたことがある。「あなたはきっと無人島で暮らしても退屈しない人だと思う。あなたはあなた自身とお話をしていれば孤独なんて感じない人なのよ」と。3か月ほどつきあったあとで、たわいもないことから彼女を怒らせてしまった僕に、まるでこれ以上救いがたいものはない、とでもいうような絶望的な暗い目をして彼女に告げられたのだった。そのときは、どうして彼女が、そんなことをいうのかまったく見当もつかず、立ち去っていく彼女の背中をぼんやりと見送った。でも、今ならわかる。彼女が突き放すように告げた言葉は、100%正しかったのだ。それは、中学校で学んだ数学の定理のように、僕が思いつくことができるすべての弁解をこともなげに拒絶する、この上なく冷徹な事実だった。

 気がつくと、僕を乗せた機体は下降を始めていた。西の空に夏の終わりの濃いオレンジ色をした太陽が、なおも強い光を放ち、海面の波を鮮やかに染めていた。黄海につきだした半島部の、ところどころ岩がむき出しになったごつごつとした背の低い山々にもその日差しは投げかけられていた。(つづく)

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僕がどうしても太れないわけ

…などと言いだすと、ダイエットを「至上課題」としている一部の女の子たちの、キッと突き刺す極めて攻撃的な視線に僕はしばしばさらされる。

そういう女の子にはおそらく信じられないことかもしれないけれど、僕には、「太ること」を生活上の至上課題として過ごした一時期がある。僕の体重は、高校入学時から30代の後半まで、まるで熟練した精肉業者が切り分けた肉のように、秤にかけると、ほとんど誤差なく針は55kgをぴたりとさした。20年間ほとんどその数字に変わりはなかった。
当時、僕にとって「食べる」ことは「義務」であった。もともと胃腸に潰瘍ができやすく、差し込まれるような痛みに頻繁に襲われる毎日だった。そんなときは食べることそれ自体が苦痛になった。


その後、治療の甲斐あって、潰瘍の苦しみから解放された。深夜に、脂汗を流しながら布団の中でお腹を押さえなくてすむ生活は、それだけで幸せだと思ったものだ。


そして。30代の後半のあるとき、意を決して「太る」努力をすることにした。きっかけは、「体重が60kg超えたら、新しいパソコンを買ってもよい」という交渉が、家族内で成立したことだった。「どうせ無理…」が家族の思惑であったらしいが、翌日からは、朝から丼飯と、とにかくひたすら食べた。すべては、新型パソコン欲しさゆえの、虚仮の一念。半年後の僕は、60kgをゆうに超え、63kgになっていた。さらに2kg体重が増えたとき、さすがの家族もすっかりあきれ果てたらしく、「もう、わかったから、やめて」と僕を羽交い絞めにしてとめた…(冗談)。

その後、60kg台を維持してきたものの、最近になって体重が目減りしはじめている。ひとりでの食事がちょっと億劫になりはじめたせいかもしれない。武漢の料理はおいしいと思うけど、あの辛さに連続して挑戦する気力がなかなか出てこないのだ。これでは、僕の「武漢人への道」は、まだまだ険しい、と言わざるを得ない。無理して挑戦すれば、きっと僕のおなかはストライキを起こす。これでは太れるわけがない。でも、考えようによっては、これは気分の問題なので、学生たちに囲まれてワイワイ食べると、案外その場の雰囲気で食も進んだりもする。



だから…ね、みんな、順番に僕を食事に誘ってくれないかな?


と、こんなオチもつかない結末で、今日のお話は終わってしまうのである。

…ま、いいか。

 

※ 今日の体操コンテスト、たいして大きなミスもなく無事に終了で、「ほっ」。その後学部会議に出たため、成績がどうであったのか知りません。夜は復調著しいL老師を囲んでの食事会。僕は白酒を飲まされ、とうてい気品のある文章は書けそうもない。

 以上、蛇足のような言い訳めいた報告、でした。

「总算来得及」とつぶやいてみた午後である

今日もまた、僕はたわいもない日常を語りはじめる。


朝8時から3年生「高級日語1」、10時からは大学院1年の「日本文化論」の授業。テキストでは語られない「行間」や、一つの言葉の裏側で隠れん坊をしている「物語」を僕は話したくて仕方がない。それが、例の「脱線」の正体なのだが、今日も今日とて、話はつい脇道へとそれていき、各駅列車の授業も今やトロッコ列車並みである。


お昼ご飯はWさんを呼び出し、WさんがLさんを誘って、3人で南門近くのいつものRで済ます。そのあと僕はいったん宿舎に戻り、コーヒーを淹れて、しばしの休息タイム。


午後3時、3年生の高級日語テキストの本文を朗読してMP3に録音。リスニング力をつけるために、とHさんに前から頼まれていたものだ。第1課から3課まで一気に朗読する。同時に、シャドーイングというリスニング力・スピーキング力強化訓練の仕方についてHさんに説明。

午後4時、健美体操。今日が練習最終日。明日はコンテスト本番である。正直言えばインストラクターの中国語がうまく聞きとれず、ずっと見よう見まねで練習してきたものの、細かい部分については適当に体を動かしていた。が、コンテストともなると、他の先生方の足を引っ張るわけにもいかないなと思いなおし、昨日になってようやく他の先生から「ここは右足から先に出すんですか?次は?」と、今さらながらのことを確認する僕なのでしたが…。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を絵にかいたような行動パターンですね。しかし、ただでさえ運動能力に優れたタイプではないから、せめて練習量だけでも人並み以上にこなしておかないと、恥をかくことは必定。


でもまあ、たぶんこれで何とか…总算来得及…かな。びくびく。


練習が「はね」てから、L老師の授業を終えたばかりのWさんと再び待ち合わせ、武商量販で、コンテスト用に白の運動靴を買いに行く。何と僕はこれまでスニーカーとか運動靴といった類のモノをもっていなかったのだ。学校からは昨日トレーニングウェア一式を支給してもらったし、これからは少し運動にも精を出すことにしようかな、…とその場かぎりの「やる気」にもなったりして。

宿舎に戻ってネットに向かう。友人のC老師としばしチャット。彼は今公費で日本研修中である。研修先で、L老師(しかし「L老師」だらけで、誰が誰だかわからないですね、これじゃ)と顔見知りになり、僕の話題が出た、という。こちらのL老師は、M大学日本語科の主任をされていて、僕が武漢に来たばかりのころ大変お世話になった。ことほど左様に、人の縁とは摩訶不思議なものである。


なお、C老師からは、このブログのために素敵なプレゼントをいただいたので、近いうちに、皆さんにもご紹介できると思います。^^C老師には、この場をお借りして感謝申し上げます。


かくして、僕の平凡な「今日」という一日が、こともなく過ぎ去ってゆく…。
さて、明日はいよいよ「本番」。
いつものように、ちょいと「テレ捨て」本気モードに入るとする、か。

このささやかな人生を

 ときどき、人から「どんな本が好きですか?」と聞かれることがある。そんなときはつい「2000円以上の新刊書で化粧箱入りであること」とか「○○さんの装丁によるシンプルな表紙の本なんていいですねー」などと答えたい衝動に駆られる。もちろん、相手が「いえいえ、そういうことじゃなくて…」と困ったような、あきれたような顔で僕を見ることは明らかなので、ちゃんと(というか、その場の気分で思いついた)何らかのジャンルの本を挙げることにしている。

 そんなときに、僕がよく取り上げるものの一つが「歴史小説」である。時代の英雄児を扱った歴史小説は、ちょっと落ち込んでいるときに読むと、元気が出てくる。日本人に好まれる「偉人」としては、たとえば、戦国末期の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗など。また、幕末の西郷隆盛、高杉新作、坂本竜馬なども人気が高い。それ以外でも、近年漫画「バガボンド」で若者を中心に人気が復活した宮本武蔵などを挙げてもいいが、人によって好みはさまざまである。

 しかし、その主人公がだれであれ、読み手の立場から見て共通しているのは、自分をその主人公にあてはめ、登場人物とともに、悩み、苦しみ、成長していくことができる人物である、という点だろう。

 僕は、そういう歴史小説を読みあさっていた頃、たとえば織田信長のように生きたい、などと考えてみたこともある。だけど、悲しいことに、僕は信長のような「天才」でもなければ、僕が好んで読む小説の主人公のように人をひきつけてやまない人間的魅力だとか才能のきらめきなど持ち合わせていない。それはそうだろう。彼らはもともと百年に一人というような「不世出」の人物なのであって、自分と引き比べる方がどうかしている。そうとは知りながらも、あらためて自分が、ごくありふれた、どこにでもいる平凡人であるということをはっきり認識したときは、やはりつらかった。小説でいえば、導入部の戦の場面で、まっさきに主人公の刃にかかって倒れる名もない足軽にすぎないのかもしれない自分を想像したときに。

 それでも、平凡人には平凡人なりの、足軽には足軽なりの人生というものがある。それぞれに夢があり、ドラマがある。それぞれの人生において彼こそが「主人公」なのである。要は、自分の人生を悔いなく生きること、か。僕もまた、この国の市井の中で僕なりのドラマを描きながら生きている。このささやかな人生を。

 

余談としてのムラカミ・カワカミ 

 今日はひどく長く感じる一日だった。
ひとつには、少しぶり返した風邪のせいで、頭がはっきりしなかったということもある。
体調を整えておくのは社会人としての基本、だとはわかっているものの、いったんひきこんだ
秋の風邪はしつこく、あとを引く。



昼ごはんはZ君と文学論義をしながら。村上春樹の作品について、二人であれこれと議論する。
そのとき、話が少し横道に逸れ、僕の、いかにも僕らしい(つまりはけっこういい加減な)文章作法について話す。

 
僕が何らかのフィクションを書こうとするとき、最初の人物設定、場面設定は行うが、そしてある程度のプロットも頭の中にはあるが、実際のところ話がどう展開するかは、僕にも分らない、ということが少なくない。あるところまで話が進むと、「人格」を獲得した登場人物たちはそれぞれ思い思いに(はっきり言えば、勝手に)動きはじめて、書き手である僕をあわてさせることもしばしばである。だから、道端の小石のように瑣末な出来事につまずいて、話が思わぬ方向に進み、予期しなかった結末に至るなどという事態も、十分に考え得るのである。こうなると、僕は「作者」ではなく「観察者・記録者」に近い。

でも、まあ、世の中に一人か二人くらい、こういう書き方をするやつがいてもいい、と思いませんか?

 


午後2時からは、関西大学学長ご一行をお迎えしての講演会。僕はもっぱら「写真班」である。写真を撮りつつ、河田学長のお話に耳を傾ける。その中で、中国の社会主義思想継受に多大な影響を及ぼした日本のマルクス主義思想家河上肇の名が挙がった。実は、近代日本思想史に名を残す「河上肇」さんは、旧制山口中学第1期生で、僕の高校の大先輩にあたる。もっとも偉大な河上大先輩にしてみれば、僕のようなダメな後輩をもって、草葉の陰でやれやれと頭を振っておられるかもしれない。

 

夜は通常通り、3年生の授業。昼間、W老師からいただいた薬が効いて、のどの調子も回復し、調子に乗って「脱線」する。ああ、品格のある授業というやつを、やってみたいと、反省しきり、小石につまずく帰り道…。

 

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今日一番のお気に入り写真です。へへ

 

僕の中のサウダージ

昨日の夜中に書いた物語のあとづけに「サウダージ」という曲をYou tubeで貼っておいたところ、「サウダージ」って何ですか、という質問をいただいた。

 

サウダージ[saudade] ポルトガル語で「郷愁、哀愁、追慕、切なさ」を意味する。「ひとりでいること=孤独」を意味するラテン語が語源。

 

僕にとっての「サウダージ」とは、たとえば、夏の終わりの草っぱら。午後3時の太陽が降り注ぎ、おい茂り伸びきった草むらの中を麦わら帽子の少年が虫取り網をもって歩いてゆく。その後姿を包み込むように、はっとするほど深い色をひそませてわたる風。そういえば、そんな風景を、遠い昔、なにかの雑誌で見かけたことがあった。僕はまだ中学生のころだったろうか。僕の眼はその頁に釘づけになり、何とも言い難い郷愁感に心を奪われた…。夏の終わりの草むらには、何かしら深い哀しみが潜んでいるような気がした。

あなたにもあなただけの「サウダージ」がきっとあるのでしょうね。それは、いったいどんな色をした風景?

新・海辺の街のお話

 新・海辺の街のお話(第1回) 

  これは、僕がかつて過ごした海辺の街と、そこで出会ったひとりの女の子をめぐるお話である。この話を僕はこれまで誰にしたこともないし、僕自身、記憶の底に沈めて意識的に思い出すまいとしてきた。そして、いつかそんな日々のことをすっかり忘れてしまうことができるときを待ち続けていた。

 だけど、今日、ふと立ち寄ったネットの映像に目をとめた瞬間、僕の記憶のコップは激しく揺すられ、コップの底にそっと沈澱させていたはずの日々がまざまざとよみがえってきたのだった。それは、煉瓦色をしたドイツ風建築物が緑の風景に溶け込んだ、中国のとある海辺の街を紹介する映像だった。そこは、僕が29歳からの3年間を駆け抜けるようにして過ごした場所だった。

 

 もしかするとこれは(そして、おそらくはきっと)、人が聞けば、どこにでもあるような、とるに足らない話にすぎないかもしれない。それでも僕は語らずにはいられない。晩秋の果てに最後の一匹となった蟋蟀が、枯野の隅で鳴き続けるほかないように。

 

 …人はなぜ追憶を語るのだろう。

 過ぎ去り、手の届かなくなった人生の欠片を、どうして人はうっとりとした目を輝かせながら語ることができるのだろう。思い出は、まるで心を突き刺し傷つける圭角を削り落とされ、なめらかな肌触りをもつ光沢のある海辺の小石のようだ、と僕は思う。それらはもはや僕の心を傷つけることもない。色とりどりの美しい小石。僕もまたそれらを日に透かしてよりわけ、「2002年」と書かれたラベルの貼られた記憶の標本箱の中に並べておくこともできるようになるのだ。

 しかし、僕にとって本当に大切だったのは、その圭角の部分だったのではなかったか。それを失うことによって、はじめて僕はそれを語ることができるようになったのだとすれば、やはり僕は少し哀しい。

 

 

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  果てしなく長い夢を見ていたような気がした。重い澱で満たされたプールに全身を浸しているようなよりどころのない倦怠と耐えきれないほどの体の冷えに、僕はようやく目を覚ましたようだった。
 目を覚ましても、しばらく僕の頭はひどくぼんやりしていた。なじみのない枕、清潔ではあるけれどいささか糊が効きすぎて僕のからだをひんやりと拒みつづけるシーツ。少し黴臭い毛布。そして、一瞬の思考の混乱。「ここはいったいどこだ。僕は、こんなところで何をしているのだ?」

  日焼けして色が少し褪せたブルーのカーテンの隙間から、朝の日差しが白い壁に細長い光の線を描き出していた。聞きなれない言語のやり取りが、階下で響いていた。そうしてようやく僕は気がついた。
 「そうだった。ここは日本ではない。僕は海を渡ってやってきたんだったっけ」
 そう、僕はこの海辺の街にスーツケースたった一つを抱えてやってきたのだった。それも観光旅行などではなく、ここに住みつくためにだ。もちろん永遠にではないにしろ、帰るあてをもたずに来た以上、結果的にそれが1年後になろうが、3年後になろうが、今の僕にとっては「永遠」とたいして変わりはなかった。どちらも終わりが見えないことに変わりはなかったからだ。
 慣れない旅とよそよそしいベッドの感触のせいか疲れがとりきれていない体を起して、僕は窓際に立ち、カーテンを開き、窓を開けた。日本に比べれば想像を絶するようなだだっ広い大学キャンパスが階下に広がっていた。キャンパスは目覚ましく発展を遂げる中国経済の縮図そのものだった。僕にあてがわれた教員宿舎の先には、4つ星級の大学直営ホテルが建設中で、その向こうでは、新たな校舎建設のための整地作業が行われていた。さっきから飛び交っていた僕には聞きなれない言葉は、建設に携わっている工人たちの山東方言であるらしかった。
 その工事現場越しに、朝日を浴びた青い海が水平線をぴんと張らせて空の青と身を寄せ合っているのが見えた。 鮮やかな海の青が目に染みた。

 僕は息を深く吸い、そしてゆっくりと吐き出した。体の隅々の細胞の一つ一つが生気を取り戻していった。


***


 僕は大学間協定に基づいて交換派遣される教員として、昨日この大学に着任してきたばかりだった。 

 

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第1回活動報告

 昨日の天気とはうってかわって、今朝から秋らしい青空が広がった。それでもひと雨ごとに気温が下がっていくようで、もうカーディガンは手放せない。風邪もひどくならずにすんだ。気管支が少し弱っているので、気は抜けないけれど、週明けには、いつもの僕に戻っていると思う。心配してくださったみなさん、どうもありがとう。もう大丈夫だよ。

 

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秋の陽だまりの中で…

 さて、プロジェクト開始から1週間が過ぎたので、そろそろ最初の活動報告を。

 

 ・期間:10/4-10/11

 ・ブログ記事:8件

 ・総アクセス数:2,283件(平均360.4件/日)

 ・コメント総数:180件(僕からの返事コメントを含む。したがって単純計算では、延べ90名からコメントをいただいたことになります)。まだコメント未投稿の方、よろしくね。

 コメントには、すべて返事を書いていますが、「管理者のみに閲覧可」にチェックを入れて投稿していただいた方は、返信メールをお送りする都合上、メールアドレスは必ず書きこんでくださるようお願いいたします。なお、メールアドレスはくれぐれも正確に。メールアドレスが不正確で、返信メールが拒絶されたものが数件ありました。「返事がまだ来ない」という方、もう一度メールアドレスをご確認ください。  

 

 ・ご意見について

   お寄せいただいたご意見は、できるだけこれからの記事に反映していきたいと思っています。ご意見をいくつか紹介いたします。「字が小さすぎる」「字が薄すぎる」「新出単語・表現は、記事の中で色文字にしてほしい」などなど。

 文字の大きさ、濃淡については、もう少し皆さんのご意見を聞いてから、再考いたします。新出語彙の色分けについては、確かに「便利」ではあるかもしれませんが、「かゆい所に手が届き過ぎる」のも、かえって学習効果を半減するのではないかと思います。幸い、毎回どなたかが「語注コメント」を作成してくださっていますので、それを参考に、がんばって読んでみてください。

 

 ・授業時の反省点

   これは、本ブログと直接関係ありませんが、僕は授業中によく話が「脱線」します。もっとも、それは文章の背景にある社会事情などを説明するための「脱線」であって、それ自体、授業計画の中に含まれています。しかし、ときには、本当に「脱線」してしまうこともないわけではありません。

 先日3年生の授業のときに「死刑制度」について触れたことがありました。僕は「死刑廃止論」者ですが、説明が簡単すぎて、かえって疑問を皆さんに与えた可能性があります。

 こういう問題は「脱線」してお話しすべきことではありませんでした。きちんと、死刑制度の意義、沿革、現状を明確にした上で、「死刑存置論」と「死刑廃止論」のそれぞれの主張を示し、最後に僕の考え方を述べるべきでした。いずれ、この問題については、しっかりと時間をとって、みなさんとじっくり議論してみたいと思っています。それまで、しばらくお待ちくださいね。できれば、みなさんも「死刑制度」について、「自分とは異なる立場から」考えてみておいてください。

 

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窓の外には秋の月

「きょ、今日は月がとてもきれいですね」…漱石流「I love you」の訳し方。

げに翻訳は難しい。

祭りの後―風邪のちおじや

 今日は1日何ごともなく過ぎていく。窓の外は粉糠雨。祭りの後の静けさに似たしっとりとした時間が僕を包み込んでいる。

 

 このブログを公開して、1週間。まじめな学生諸君のこととて、アクセス数もウナギ上り。まさに灰神楽が立つような忙しさの中で、時間が飛び去った、という感じ。お客様も無事武漢をお発ちになり、今頃は重慶行きの夜行列車の中で、武漢での3日間の思い出を車窓に浮かべていらっしゃる時分だろうか。一路平安、またお会いしましょう、と僕は心の中で呟く。

 

 今でこそほのぼのとした気分に浸っているけれど、実は昨日の深夜、くしゃみを連発して、背筋がぞくぞくしはじめた。

「これって、もしかすると風邪?」

 真冬用の「どてら」(=綿入れの防寒用長着)を衣装ケースから引っ張り出して、着込む。今朝は喉と鼻の奥が軽い炎症を起こしたみたいに痛んだ。頭痛も少し。薬を服用して、今日1日はゆっくりと過ごすことにした。気の置けない来客はあったが、それ以外は、申し訳ないけれど、「面会謝絶」ということで、すべての予定をキャンセルさせてもらった。関係者の皆様、そういう事情ですので、お許しを。

 

 今日は、一晩経ったお鍋のスープに、野菜やお肉を足して、食べた。実は、お鍋の本当の味わいはここからなのである。今日さらににじみ出た野菜や肉のエキスがスープの味をますます深くしてゆく。明日は、このスープで「おじや」を作るつもり。こんな話を聞けば、たいていの日本人は、うっとりとした表情になり、口中に唾液があふれ出すことは間違いない。むしろとびっきりの「おじや」を食べたくてお鍋を楽しむ人もいるくらいだ。たぶん、今日のお鍋で、体の中から温まり、風邪なんて吹き飛んでしまうだろう。

 明日の朝は、「至福のおじや」が待っている。こんなおいしいもの、ひとりで食べて、ごめんなさい(笑)

 

 

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続・F先生のこと―名残は尽きねど

 昨日も書いたように、今晩はF先生と久しぶりに鍋をつつきながら「よもやま話」の至福の時を過ごした。

 とはいうものの、実は朝から分刻みの忙しさであった。
 朝6時半に起床、寝室の片づけ、床掃除をして8時からの授業に。午前いっぱいずっと授業をして、正午に体育館前で、日本人留学生のYさんと待ち合わせ。夕方の食材を自分で買いに行く時間がないので、昨夜Yさんにお買い物を頼んだのだった。Yさんと昼食をとりながら、メモ用紙に、食材を書き並べていく。午後1時15分には南門でLy老師と落ち合って、そのままLe主任の自宅へ行くことになっていた。少し早目に南門に着くと、すでにLy老師が待っていた。1時15分Le主任の自宅に到着。1時半から、面接による公費大学院生の選抜試験を行う。午後4時、外国語学院前で行われているエアロビ(健美体操)の練習に加わる。小雨模様の中、5時過ぎまで汗を流し、5時15分に帰宅。今日やるべき仕事は終わった。あとは、宴(うたげ)の時間。

 5時40分、Yさんが食材を買って持ってきてくれる。鍋の下準備を始めようとするところに、Z君の案内でF先生到着。キッチンで野菜をざく切りしながら、応接間のF先生とおしゃべりをしていると、まず3年生のPさんが「こんにちはー。失礼します」。彼女も今日のお鍋の会参加者の一人。
 いったん留学生楼に荷物を置きにもどっていたYさんがIさんを伴って「こんばんはー」の頃になると、鍋の下準備はほぼ完了である。

 テーブルの真ん中にぐつぐつ煮える鍋を置き、5人で鍋を囲む。F先生は本当にお話上手で、僕はただただ聞きほれるばかりであり、他の参加者たちも、先生のすてきな話術に引き込まれていく。鍋の湯気の中を飛び交う笑い声。至福の時が流れてゆく。それにしても武漢に住む僕たちが、お客様であるF先生から武漢の歴史秘話を教えていただく不思議さ、といったら。


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ああ、F先生の笑顔が湯気の向こうに…

 話は変わるが、お話をしていて、僕は自分の記憶力の悪さ、適当さを再確認した。F先生が中国語を学ばれたのは、河北大学・山東大学。その後南京の大学で5年間の教鞭をとられて、西安へ。まったく勘違いをしておりました><。中国生活15年。それに、すでに今年喜寿を迎えられたそうです。まったくそうは見えないほど気持ちがお若いので、実際のお年を確認して、思わず「え?」。少なくとも80歳までは現役教師として中国の若者と交流を続けられるようです。

 さて、宴もたけなわの頃、D老師が参加。さらに、院生のW君、Xさんも来訪。わいわいとみんなで楽しい歓談の時が続く。ああ、この時間が、このまま続けばいいのにな、とふと思う僕でした。

 夜9時、Z君がF先生のお迎えに来てくれる。それを潮に、宴の時もいよいよお開きに。
 D老師、W君、Xさん、Pさん、それにZ君をお供に、F先生は宿泊先の桂苑ホテルへ。
 「また会いましょう」と握手。先生の手のぬくもりを感じながら、しばらくそぼ降る雨の中にたたずんで、先生方の後姿を見送る僕なのでした。 そう、まさに「思いは尽きねど」の気分です。

 

 今日は、僕も学生たちも、F先生から「やる気」を授けていただきました。

 また明日から、ばりばり頑張る力を。


F先生のこと―朋有り遠方より来たる

朋、などと呼ぶのは、本来失礼にあたるかもしれません。あと何年かすれば喜寿を迎えられる人生の大先輩です。お名前をF先生といい、現在、S外国語学院で日本語を教えていらっしゃいます。

 そのF先生からメールをいただいたのは、おとといの夜。

 

―「今週後半、授業が休みになったので、武漢に遊びに行きます」

 

 F先生との再会は、4年ぶりです。実は、僕が以前勤めていた大学で、1年間だけ一緒にお仕事をさせていただいたことがあります。その頃は、よく先生のお部屋に招かれ、中国人学生、日本人留学生数人が入り乱れてお鍋を囲んで、ビールを飲みながらたわいもないことをしゃべっては笑いあったりしたものでした。

 F先生と僕はふるさとも同じで、年は親子ほども離れていますが、その分、人生の酸いも甘いも噛み分けた優しさで、年若の教師である僕を何かと立てて下さり、親しくお付き合いをしてくださいました。

 先生はお若いころ、国際的にも知名度の高い、日本の商社Iで、世界を股にかけたお仕事をしていらっしゃいました。その頃の先生の武勇伝を、今も僕は懐かしく思い出します。退職後、南京で中国語を学ばれ、やがて大学で教鞭をとられるようになりました。その後、西安の大学に勤務されたあと、僕のいた大学に来られたわけです。

 1年後、F先生は惜しまれながらも蘭州の大学に移られ、さらに東北の大学で2年間教鞭をとられ、去年からは重慶にお住まいです。

 

 今日は、午前の授業が終わってから、宿泊先であるキャンパス内の「桂苑ホテル」にお伺いしました。3年生のLさん、Z君をひきつれて、ホテルのレストランで昼食をご一緒させていただきました。

 先生は変わらずお元気で矍鑠(かくしゃく)としておられました。先生の溶けるような笑顔に懐かしさがこみ上げてきました。食事中も、懐かしい話題に花が咲き、時間がたつのも忘れてしまった僕でした。

 

 F先生にお目にかかるたびに思うことは、「若さ」というのは年齢とは一致しないということです。先生は今でも探究心が旺盛で、武漢に来られる前に『老武漢』という分厚い本を1冊読みこんでから、いらっしゃいました。「事前に知識を頭に詰め込んできた方が、楽しみが広がるでしょう」と何気なくおっしゃいます。そういう尽きることのない知的好奇心には脱帽です。そして物事をすべてプラス思考で捉えていらっしゃることにも。

 なかなかまねのできることではありませんが、たとえ一歩でも、いえ半歩でもF先生の境地に近づけるように、自分もこれから精進していきたいな、と思う僕なのでした。

 

 さあ、明日は久しぶりに、F先生とお鍋でもつつきながら、先生の武勇伝の続きを楽ませていただくことにしよう、かな。

 

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「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」

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眩暈のあとで

時は私にめまいだけを残してゆく

だからワイングラスの角氷

眠りにつこうとする愛に ささやかないで

(小椋佳作詞作曲「めまい」より) 

 

…なんて歌っている場合ではない。本当に昨日の夜は眩暈(めまい)を起こしそうになるほど忙しかったのだ。

 夜10時台をピークにアクセスとコメントの書き込みが集中したためである。書きこんでもらったコメントにはできるだけ早く返事を書くように心がけるつもりであったが、まさか初日から書きこんでもらえるとは思っていなかったので、これは半ば「うれしい悲鳴」となった。

 もちろん「ご祝儀コメント」(=初日だから、とにかくお祝い代りにコメントを書いてあげようというお心遣い)も多かったのであろうが、まずまずの順調な滑り出しに、ほっと胸をなでおろした。もっとも、この計画は1年間の長丁場(ながちょうば)なので、継続することが肝心。学生のみなさん、コメントの書きこみは週1回がノルマですから、どうぞよろしく。

 さて、このブログの使い勝手をちょっとでもよくしたいと、あれこれいじっている間に、障害が発生していた旧ブログのアルバム機能がいつの間にか復旧していることに気がついた。そのまま捨て置くのももったいないので、「一石亭写真館」と装いを変えて本ブログに併設することにした。お暇のある方は、本ページ左欄下の方の「リンク・一石亭写真館」をクリックしていただければ、同ページに飛ぶことができます。こちらもあわせて、どうぞよろしく。

 

(結局、僕が布団にもぐりこんだのは、夜中の2時半。

本当に時間は僕に眩暈だけを残してゆく…。)

 ところで「一石亭」という名前のいわれを尋ねられることがたまにある。これはあまりに単純すぎて、説明するのも恥ずかしいが、管理人の本名から2文字「一」と「石」を採っただけのこと。だから、最近では「この世の中に一石を投じ、しかもみんなの日本語学習の助けにもなり、さらにはおおっぴらに自分の趣味を楽しめて、一石三鳥だからさー」とテキトウなことを言ってごまかしている。

 ところが今日、昼ごはんを学生たちと一緒にとっているときに、たまたま天才物理学者アインシュタインの話が出た。彼の名前はEinstein。これはドイツ語でein(ひとつの)+Stein(石)を意味する。つまり一石。…ってことは、あ、「僕って実はアインシュタインだったんだー」。…バカなお話ですみません。

 

 

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勝手 わがまま 気まま

 これ、今日本科3年生の「高級日語1」で出てきた「言葉の使い分け」のテーマです。
一瞬、僕のことか、と思ってしまいました。

 この6年間、単身赴任で気ままな中国独り暮らし。わがままを言える相手がいないのがさびしいな、などといえば、これは身勝手なセリフ。

 さて、この類似語に付け加えてみたいのが「自由」という言葉。
 自由気まま、という言葉もあるし、自由勝手という言い回しもあります。
 この「自由」という言葉には、かつて「勝手気まま」を意味するマイナスイメージがつきまとっていました。今でも「最近の若い者は何かというと『自由』だ。人の迷惑も顧みないで、わがままで困る。これもみな戦後の教育が悪いのだ」とのたまう保守政治家さえいます。僕は、これには少し首をかしげざるを得ません。人は本来みな「自由」なはずです。自由にものを考え、自由に行動して差し支えないはずです。それと同じように、他人の「自由」を妨げることはできません。他人の自由を妨げることは自分の自由も妨げられてよい、ということになるからです。
 ところが、僕たちは社会の中で生きている以上、お互いの「自由」が衝突してしまうことがあります。そんなとき、力のある方が無理やり自分の「自由」を押し通そうとすると、この社会は、弱肉強食の世界になってしまいます。そのような「自由」は、むしろ「わがまま」なのであって、僕のいう「自由」には含まれません。その意味で、「自由」と「勝手/わがまま」はきちんと区別しておく必要があるように思います。そうでないと一部の「わがまま」なふるまいに対して「自由を与えるからいかんのだ」という理屈で、僕たちの自由のすべてをやり玉に挙げ、的外れなことをいう輩が増えてこないともかぎりません。
 ちなみに。僕の考える「自由」には、つねに責任が伴います。自分の意志で「自由」に考え、行動する以上、その結果も自分自身で背負わなければなりません。気ままにやり放題、というのは、まさに「自由」のはき違えでしょう。

 さてさて、僕の授業では、みなさんはまさに「自由」です。これって、本当は、とてもとても厳しいものなんですけど、みなさん、気がついてました?(笑)

 ではでは。

新ブログ開設通知

1 学内向け通知

10月4日に新ブログを開設しました。その趣旨については、10月4日付の「巻頭の辞」をご参照ください。そこでも申し上げましたように、このブログは、本学の「科研プロジェクト」として企画・運営されています。本科上級生と研究生の皆さんには、全員参加をお願いしています。

【参加の仕方】
1 ブログの閲覧…ブログは原則として毎日更新しますので、みなさんも毎日1回はアクセスして記事をお読みください。
2 コメント書きこみ…最低週に1回のペースでコメントを書きこんでください。内容は原則として自由ですが、ブログ本文にかかわるものであるほうが望ましいです。

ブログの書き込みに当たっては、本名でなくペンネームを使用してもかまいません。ただし、ペンネーム使用の場合は、あらかじめ、管理人(一石亭)までご一報ください。メールアドレス等については記載する必要はありません(任意)。

※皆さんの個人情報は、本ブログ管理以外の目的に利用することはありません。プライバシー保護にも細心の注意を払っています。 


2 一般向け(卒業生を含む)通知

卒業生をはじめ本ブログに関心を持っていただける方にも、ぜひプロジェクトへの参加をお願いしております。ご参加いただける場合、最初のコメントの際に、
 ①ペンネーム
 ②日本語学習歴(できれば、卒業生は卒業校名、在学生は大学名および学年)
 ③その他簡単な自己紹介
 ④メールアドレス 
を書きこんでいただけると幸いです。 

すべてのコメントに、できるだけ早くお返事コメントと、ご希望があれば添削文をお返しします。
また、本プロジェクトは皆さんと一緒に作るブログを目指していますので、質問のほか、気がついた点、改善案なども、ぜひお寄せください。

気がつけば、添削三昧の日々

気がつくと、もうこんな時間だ。

実は、日本に留学中のechoさんから、夏休みの旅行記の初稿が送られてきて(というのも、旅行中、彼女と後輩のCさんがわざわざ僕の自宅を訪ねてきてくれ、旅行記にもそのことが触れられていたので)、それに目を通しているうちに、夜もしんしんと更けてしまったという次第。

旅行記は、彼女らしいとても生き生きとした文章で、読みながら自然と彼女の表情が思い浮かんだ。読ませてもらうついでに、表現上ちょっと気になるところがあったので、ついつい「添削」までしてしまって…こうなると、もう僕の文章チェックは一種の「職業病」…なのかもしれない。

さて、連休明けの明日は朝8時頃学生と待ち合わせをして朝食をとったあと、一緒に学校の図書館に行くことになっている。明日一日、授業はないが、午後には「健美体操」(エアロビ)の練習も再開。それに週末の「お料理クラブ」の予行演習として夕方からハンバーグ作りにチャレンジしようと思っているので、けっこう忙しい一日になりそうな、予感。そうそう、連休前から積み残しの作文添削もしないと。

さ、何はともあれ、新しい1週間。気合を入れて頑張るとしようか。

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「日本国憲法」

日本国憲法

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新着情報

「お風呂を買ってルンルンしよう」(12/18)中国語訳が追加されました。2008-12-20 NEW

「夢が試される場所」(12/11)中国語訳が追加されました。2008-12-20 NEW

「16Daysのカウントダウン」(12/16)中国語訳が追加されました。2008-12-18 NEW

「お風呂を買ってルンルンしよう」(12/18)語注が追加されました。2008-12-18 NEW

「焼きうどん のち メランコリック」(12/17)中国語訳が追加されました。2008-12-17 NEW

「原点へ、原点から。」(12/15)語注が追加されました。2008-12-16 NEW

「夢が試される場所」(12/11)語注が追加されました。2008-12-11 

「夢の背中」(12/10)中国語訳が追加されました。2008-12-11 

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一石亭華中

Author:一石亭華中
ようこそ、本ブログページへ。
一石亭は中国在住8年目を
迎えました。
でも中国語はまだ初歩の初歩。
趣味は「お仕事」と散歩、それに写真撮影。
あ、それからお昼寝も…趣味のうち、かも…。

YouTube今週のウタちか

凹んだとき、元気がでないとき、僕を支えてくれ、力づけてくれるウタを週替わりで紹介します。ちょっと古い歌が多いかも…ですが。今週も「ちょっと切ない歌」を。

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